【2717冊目】三島由紀夫『金閣寺』
「新潮文庫の100冊2021」全冊読破キャンペーン39冊目。
圧倒的な美文で綴られる、圧倒的に醜悪な自己韜晦。再読でしたが、読むのがツラい一冊でした。
初読は大学生の頃だったと思いますが、当時は主人公の溝口に、うっすら共感さえ覚えていたような。でも、今読むとその徹底的に自己中心的で自己回帰的な思考ループには、嫌悪しか感じません。
人を見れば非を探し、見つければ愉悦に浸り、見つからなければかえってその相手を憎悪する。溝口の思考はその繰り返しです。その果てが、金閣を焼くという発想でしょう。それも、自分の中にどうしようもなく聳え立ったイメージとしての金閣を滅ぼすのに、実在の金閣を焼こうというのだから救われません。その行動は、どこか最近起きる通り魔事件に似ています。彼らの多くもまた、自分ばかりを見つめすぎ、自分ばかりに執着した挙句、暴発して周囲を巻き込むのです。
そう考えると、溝口にわずかとはいえ共感したかつての自分はずいぶんヤバかったのではないかとも思えますが、案外、若い頃というのはそういうものなのかもしれません。
ただ気になるのは、三島がその閉塞だけを描き、金閣の炎上で物語を終わらせたところ。たとえばこの後にいずれ紹介する予定のドストエフスキー『罪と罰』では、やはり身勝手な思い込みと優越感で老婆を殺したラスコーリニコフが主人公ですが、こちらはほとんどのページが「事件の後の彼」の苦悩と覚醒を描いています。
そこが、事件で終わってしまった三島と、そこからの魂の再生を描いたドストエフスキーの違いなのでしょうね。それはまた、割腹自殺で生を終えた三島と、反政府運動に連座して処刑をからくも免れたドストエフスキーの差なのかもしれません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!