自治体職員の読書ノート

自治体で働くソーシャルワーカーが、読んだ本を紹介します。

【2555冊目】原田マハ『たゆたえども沈まず』

 

たゆたえども沈まず (幻冬舎文庫)

たゆたえども沈まず (幻冬舎文庫)

 

 

「いちばん描きたいものをあえて中心に描かずに、その周辺を描くことで、見る者に連想を促し、主題を浮かび上がらせる」

本書の主人公フィンセント・ファン・ゴッホ日本画から学んだ技法として、本書の終わり近くに登場するフレーズだが、私には、これがこの小説そのものについての文章に思えた。それほどに本書は、ゴッホの「周辺」を丁寧に描くことで、ゴッホという人物そのものに肉薄している。

 

弟でありゴッホの支援者であったテオと妻のヨー。画商として浮世絵をパリに広め、ジャポニズムの定着に努めた林忠正といった実在の人物に加えて、林を支えテオと橋渡しをした加納重吉という架空の人物(だと後から知ってびっくり。あまりのリアリティに、てっきり実在の人物だと思っていた)を狂言回しに据えるという、二重三重の舞台装置が周到だ。彼らにフォーカスを当てて話が進んでいくのだが、その向こう側に、徐々に浮かび上がってくるフィンセント・ファン・ゴッホの存在感が圧倒的。ゴッホ自身を主人公として描くより、ずっとインパクトがある。

 

テオとゴッホの関係が実にせつなく描かれているが、客観的に見れば、これは明らかに共依存関係。アルコールやギャンブルに依存する人を支えてしまう兄弟や配偶者によくいるタイプだが、それでもテオの支えがあってこそゴッホの傑作が生まれたことを考えると、なんだか複雑な気分になる。これはこれでよかったと考えるべきなのか。

 

絵画の描写のうまさは相変わらずで、読めば必ず「タンギー爺さん」や「星月夜」、あるいは北斎や広重の浮世絵が見たくなる。日本人が反故がわりに使い捨てていた浮世絵がヨーロッパによって「再発見」されたことは皮肉だが、文化というのはそうやって、外部によって評価され、再発見されることで生き続けるものなのかもしれない。

【2554冊目】團伊玖磨『パイプのけむり』

 

 

13年にわたり書かれた名エッセイの、文庫版第一冊。第一作の「ハンドバッグ」は、女性のハンドバッグの中身が男性にとっては神秘の領域であることを的確かつユーモラスに綴っている。書かれたのは東京オリンピックの開催年でもあった1964年なんだが、現代にも十分通じる独特の味わいとキレがあるのがさすがだ。う〜ん。確かにあの中身って、気になるけど、なんか見てはいけない気分になるんだよねえ。

 

最初のあたりでは辛口の世相批判が多めだが、後半になるにつれてだんだん身近なネタを巧みに料理したものが増えてくる。これは明らかに、エッセイストとしての團伊玖磨の腕の上達だろう。世相批判や社会批判は、実はそれほど難しくない。それより日常のささいな出来事を拾いあげて一編の文章にするほうが、はるかに大変なことなのだ。

 

そんな世相批判にも、おやっと思うものは多い。けっこう厳しいオリンピック批判(もちろん今回のではなく、1964年の東京オリンピック)があったりするのだが、オリンピック開会式の音楽の作曲者がこんなことを感じていたのかと思うと、意外な面白さがあった。

 

「米国」「英国」という略称への批判もユニークだ。特に「米国」については、自国民の主食を名称に冠したことで「無意識的にではあるにせよ、大切な主食の概念が一瞬横切る」のであって「我々日本人にとって、米国という国が、事実そうである以上に、又、そうである可きである以上に、重要な重みを持って迫って来るように思える」(p.264)という。さらに米国と英国に負けたことについても「米と戦って米(こめ)を失い、英と戦って英(すぐ)れざることを証明した」と手厳しい。

 

戦争の記憶がまだ生々しく、一方ではオリンピックと経済成長に沸く日本の姿がリアルタイムで捉えられているという点では、時代の貴重な証言ともなっている(占領下の沖縄の描写もあって驚く)。だが一方で、最初に挙げた「ハンドバッグ」のように、書かれている主張や発見自体は、今読んでも驚くほど古びていない。そのあたりが時代を捉えつつ、時代を超える名エッセイたるゆえんなのだろう。

【2553冊目】マイケル・ルイス『マネーボール』

 

マネー・ボール 奇跡のチームをつくった男

マネー・ボール 奇跡のチームをつくった男

 

 

野球を題材にしたビジネス書としても有名な一冊。本書の「主人公」ビリー・ビーンらは、常識に囚われないこと、データをもとに合理的に考察し、実践に移すことの大切さを、愚直にスカウトの現場に持ち込んだ。そして、ヤンキースの三分の一の平均選手年俸ながら、オークランドアスレティックスプレーオフ進出の常連チームに仕立て上げてみせたのだ。

たとえば、打率にはみんな注目するが、実は大事なのは「出塁率」のほうだ。そこでは、単にバットをボールに当てる能力だけではなく、ボール球をしっかり見極められる眼が必要になる。ところが、バッティング能力は後から鍛えられるが、選球眼の方は「天賦の才能」がモノを言う。となると、スカウトの時にチェックすべきは、後から上達が見込める「打率」だけではなく、四球をどれだけ選び、出塁したか、という要素を加えた「出塁率」であるということになる。一方、「盗塁」や「バント」は、この球団ではほとんど「禁止」である。確かに得点につながる可能性はあるが、野球はそれより「いかにアウトを取られないか」が決定的に重要だからだ。わざわざアウトを増やす可能性を抱えて行う盗塁や、ましてアウトを前提に出塁を企てる「バント」は、まさに「的外れか自滅行為」としか評価されない。だからアスレティックスは、他球団に比べ盗塁の数が圧倒的に少ないという。

こうしたデータの積み重ねで獲得した選手は、評価基準が全然違うので、他の球団からはほとんど注目されず、それゆえ年俸が大変安い。そして、彼らが成果を出し、注目されるようになると、高いトレード料で彼らを放出し、新たに無名の(やはり同じような特質をもった)選手を補充していく。このあたりの情け容赦のないトレード・ビジネスぶりと球団間の駆け引きも本書の読みどころだ。いかに注目の選手をそれと気づかれずに安く引き抜き、自軍の選手を高く売りつけるか。まるで人身売買であるが、これもまたメジャーリーグ・ビジネスなのである。

もっとも、本書は単にこうした「新しいやり方」を提示するだけの本ではない。面白いのはむしろ、そこに登場する人物、特に「主人公」ビリー・ビーンの人間臭さだ。ゼネラル・マネージャーでありながらロッカールームをうろうろし、自軍の試合は(怒りやストレスが溜まるので)基本的に見ない。不機嫌になると子供のように怒鳴り散らすが、選手獲得の交渉は実に冷静でしたたかだ。そして、実はビリー自身、高校卒業と当時にメッツのスカウトから提示された金額に目がくらんでプロ入りし、大学進学を蹴ったものの、結局ものにならずドロップアウトしている。「なぜ自分が選ばれてしまったのか」という疑問が、慣例にとらわれないやり方の原動力になっているのだろう。

後にその手腕が評価され、レッドソックスから高額の報酬を提示されて引き抜かれそうになるのだが、ビリーは悩んだ末にそれを断ってしまう。その時のビリーのセリフが、この人の本質をよく言い表しているように思われる。ビリーはこう言ったのだ。

「わたしは、金のためだけに決断を下したことが一度だけある。スタンフォード進学をやめて、メッツと契約したときだ。そしてわたしは、二度と金によって人生を左右されまい、と心に決めたんだ」(p.417)

ビリー・ビーンが、自分を高く売り込むことばかり考えている連中と全然違うことがよくわかる。やはりこの本は、ビジネス書というよりは、よくできた異色の野球ノンフィクションなのである。

【本以外】映画『TENET』を観てきました

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観終わった直後の感想は、次の2つ。

「????????????」

「!!!!!!!!!!!!」

 

時間が流れる川のようなものだと考えれば、タイムマシンが出てくるような「時間遡行モノ」は、いわば川の下流から上流まで移動するようなもの。移動した後は、また上流から下流に沿って流れ続ける。『ドラえもん』も『時をかける少女』もそうだった。

 

ところがこの映画は、川の流れそのものを逆にする。ビデオの巻き戻しのように、未来は現在、そして過去へ。飛び出した弾丸はピストルに戻り、鳥は後ろに飛び、崩れた建物は戻る。

 

ややこしいのは、全員が「戻って」いるわけではないことだ。周囲の時間が遡行する中、主人公たちの時間だけは前に進む(周囲からすれば、主人公たちだけが逆行している)。いわば川の流れが2方向、同時にあらわれるのだ。

 

世の中のほとんどの映画もまた、過去から現在、そして将来に向かって進む。例外は本作の監督クリストファー・ノーランが撮った『メメント』で、これは時間をどんどん戻っていくという究極の巻き戻し映画だったが、本作はさらに「わかりにくい」。というか、この映画を一回で理解できる人はいるのだろうか?

 

理解できない、というより、脳がこの映画を受け付けない。おそらく、時間を逆行するという発想そのものが、人間の脳のしくみに逆らうようなものなのだろう。だが、それが苦痛かといえばとんでもない。むしろ脳の臨界点を超えた展開と映像が次々に目の前で展開されるのが快感だ。そして、内容については今後長きにわたって、映画ファンや評論家の間で解読と議論が続いていくだろう(例えばキューブリックの『2001年宇宙の旅』のように!)。わかりやすさばかりが幅を利かせる最近の映画に強烈なクサビを打ち込んだ作品。ぜひご覧いただき、一緒に首をひねりましょう。

 

 

 

 

 

【2552冊目】山口つばさ『ブルーピリオド』

 

 

マンガ大賞を受賞した話題作というのは知っていたが、読んでみたら予想以上。「美術」をテーマにした学生群像劇という点では『のだめカンタービレ』を思わせるが、芸大受験が6巻までのクライマックスになっていることもあり(その意味では美術版『ドラゴン桜』というべきか)、一気に惹き付けて読ませるパワーがある。ちなみにタイトルは若き日のピカソの「青の時代」にもかけているのだろうが、良いタイトルだ。

主人公の八虎は、なんでも器用にこなすことができ、空気も読めて勉強もできるバリバリのリア充。だが、美術という「本気の目標」が見つかった瞬間から、その「器用さ」が、かえって最大の弱点となって八虎に牙をむく。自分の薄っぺらさ、中身の無さが、描いた絵からしっかり伝わってしまうのが、アートの恐ろしさなのである。

そんな八虎のキャラクターに加えて、「女装男子」の龍二、天才肌の世田介といった個性的な脇役が加わることで、物語がどんどん転がっていく(この「脇役の強烈な個性」が本作のひとつの読みどころ)。あと、「のだめ」では音楽という目に見えないものを絵で表現していたが、コチラは実際の絵を使って登場人物の内面や個性を描くという、別の意味での難しい挑戦に成功している。

挫折と成長の繰り返しという王道パターンだが、アートという舞台を選ぶことで、それが思わぬ輝きを得た。7巻からは新局面となり、ますます目が離せないマンガ。さらに「描く側」の視点で作品を眺めるというだけで、今までと絵画の見方がガラリと変わること請け合いだ。アート好き、美術館好きにもおススメしたい。