自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2841冊目】『フラナリー・オコナー全短編 上下』

 

 

 

 

 

一部、物語の結末に触れておりますので、ご注意ください。




 

ずいぶん前に読んだきりだったのですが、いくつかのきっかけが重なり、読み返してみました。

 

ちなみにきっかけの1つは、こないだ読み返したG・ゼヴィン『書店主フィクリーのものがたり』の登場人物の愛読書が「善人はなかなかいない」だったこと。

 

そしてもうひとつは、映画『スリー・ビルボード』の町山智浩さんの解説で、やはり「善人はなかなかいない」が紹介されていたこと。

 

特に『スリー・ビルボード』の解説では、「善人は・・・・・・」を通して「暴力を通して恩寵に至る」というオコナーの思想が提示されていて、びっくりしました。

 

★★★

 

で、読み返してみたら、確かに。

 

この話、ドライブを楽しんでいた家族が脱獄囚によって皆殺しされるという、あらすじだけ見ればなんとも救いのない話なのですが、

 

その中で、最後まで脱獄囚を説得しようとする「おばあちゃん」が、死の直前に男に向かって言うのです。自分に銃を突きつけながら、駄々っ子のように、自分の人生の理不尽を嘆く男に。

 

「まあ、あんたは私の赤ちゃんだよ、私の実の子供だよ!」

 

最初に読んだときは、あまりの展開の残酷さに、すっかりそこを読み落としていたようです。

 

★★★

 

とはいえ、それまでの必死で説得を試みるおばあちゃんの姿は、深刻ながらどこかこっけいです。

 

本作に限らず、オコナーは、人々のそうした「こっけいさ」を意地悪なまでにリアルに描いてみせます。

 

連れの子供に「俺は都会を知っているんだ」と威張ってみせるが、道に迷ってしまう老人(「人造黒人」)。

 

死病を患ったと思い込んで悲愴ぶり、母親にわがまま放題を言うが、診察を受けたら簡単に治る感染症だとわかってしまった若者(「長引く悪寒」)。

 

自分の息子の悩みはほったらかしで、表面的な「善行」に酔う父親(「障害者優先」)。

 

そんな人々の愚かしさに対するオコナーの仕打ちは、時にきわめて冷酷ですが(特に「障害者優先」のラストは衝撃的でした)、

 

人間というのは、そんな目に遭わなければ変われないものなのだ、というのが、オコナーの冷徹な認識なのかもしれません。

 

そういう人間認識に根ざした短編だから、読み終えたあとには衝撃だけではなく、深く刺さった棘のような、いつまでも続く余韻を読み手に残すのだと思います。

 

その意味で、オコナーの作品は、昨今流行りの「イヤミス」などとは全然違うのです。

 

10冊のイヤミスより、オコナーの1つの短編を読みましょう。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!