【2840冊目】ポール・ウィリス『ハマータウンの野郎ども』
原題の「learning to labour」も素晴らしいが、邦題もおもしろいですね。本書のトーンとエッセンスがよく伝わるタイトルだと思います。
本書のテーマは「反学校文化」、日本で言えば「ヤンキー文化」です。学校では教師に反抗し、授業をサボり、仲間とつるんで悪さをし、卒業するとガテン系の仕事に就く連中、といえばイメージしやすいでしょうか。『ビー・バップ・ハイスクール』『ろくでなしBLUES』から『東京リベンジャーズ』まで、マンガでは定番のネタですね。
本書が描いているのは1970年代のイギリスなのですが、現代日本のヤンキーとの類似性は驚くほどです。違うのは、イギリスでは人種差別の問題が大きく登場することと、「女の不良」がほとんど出てこないこと。ハマータウンの不良はなぜか全員男であって、女性は彼らにとってセックスの対象でしかないようなのです。実際にイギリスには「スケバン」はいないのか、著者があえてネグっているのかは定かではありません。
それはともかく、本書が面白いのは、「野郎ども」への膨大なインタビューをもとに、学校での反学校文化を、本書でいう「手労働」の文化との連続性の中で捉え直していること。成績の向上や教師からの評価に反発する彼らのメンタリティは、立身出世や高給への反発にそのままつながっています。彼らにとってはそれよりも「男らしさ」や「その場の楽しみ」を追い求めるほうが重要なのです。
そんなのはけしからん、誰もが向上心を持ち、自己実現を追い求めるべきだ、と思われるでしょうか。確かに、学校は「そういう場所」です。でも、問題はまさにその点なのです。著者の言葉を引用してみましょう。
「教育の理念的な枠組みに縛られた学校では、少数者だけが個人的に成功できる条件を全員が従うべき条件として提示する。それで全員が成功するわけではないという矛盾はけっして明らかにされないし、優等生のための処方箋を劣等生が懸命にこなそうとしても無効であるかもしれないことについては、学校は押し黙っている。ひたむきな学習、辛抱強さ、順応、そしてそれらの立派な等価物として知識を受容すること、これが全員に要求されつづけるのだ」(p.313)
「野郎ども」は、かなり早い段階でこの欺瞞を見抜いていると著者は指摘します。おそらくその理由のひとつは、多くの場合、彼ら自身の親が同じ規範、同じ経験をしているからでしょう。そうでないにしても、彼らにとって、教師の言うことをおとなしく聞いて勉強している連中はバカそのものなのです。「野郎ども」にとっては、それよりも別の価値観、たとえば「いっぱしの男であること」のほうが大事なのですね。
そうした指摘を行う一方で、本書は、そうやって自ら低賃金の単純肉体労働を選ぶ彼らこそが、資本主義社会の底辺を支えていることを見落としません。教師への反抗はしても、彼らは組合闘争や労働運動にはめったに流れません(それは「意識の高い」優等生がやることなのです)。だから「反学校の文化」に属する彼らは、皮肉なことに、実は経営者にとってはたいへん都合の良い「低待遇にも文句をいわない底辺労働者」なのです。
というわけで本書は、ヤンキーたちの反学校文化を糸口に、学校と教育の本質、さらには資本主義と階級社会の本質に迫る、充実した一冊です。後半の分析部分はやや難しいですが、「野郎ども」への聞き取りだけでも、読むとたいへん面白いものでした。洋の東西を問わず、良くも悪くも、ヤンキー文化は不滅なのであります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!