自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2779冊目】國分功一郎・熊谷晋一郎『〈責任〉の生成』


決して簡単な内容ではありません。特に「中動態」という概念は、定義を読めば理解はできるのですが、なかなか体感的に入ってこないものがあります。


なので、ピンと来ない部分も多かったのですが、にもかかわらず非常に刺激的な一冊でした。今までの自分の思考を大きく揺さぶり、変えてくれた本でもあります。


まず「免責と引責」のくだりに興味を惹かれました。例えば放火をしてしまう人がいる。もちろんとんでもないことです。責任を取らせるべき、という意見も出るでしょう。でも、本書に出てくる「べてるの家」の当事者研究などにおいては、まったく逆の方法に取り組みます。そこで行うのは、その行為の「外在化」。「放火現象」とでも名付けて、自然現象であるかのように、そのメカニズムを分析するのです。それによって、なんとその当人が、自分のしたことについてはじめて冷静に理解することができ、ひいてはその責任を引き受けられるようになってくるといいます。いわば、いったん「免責」することで、実は本当の意味での「引責」が可能になるわけです。


これに関連して「意志」をめぐる議論も重要です。先ほどの放火の話でいえば、「放火する意志があった」のだから「その責任を取らねばならない」という主張をする人が多いのではないでしょうか。でも、本当にそれは「意志」に基づく行為と言えるのか、と本書は問いかけます。たとえば、目の前にウーロン茶とコーラがあるとします。あなたがどちらかを選んだからといって、それはすべて「意志」に基づくものでしょうか。著者(國分氏)はこう言っています。


「本当は『意志』があったから責任が問われているのではないのです。責任を問われるべきだと思われるケースにおいて、意志の概念によって主体に行為が帰属させられているのです」(p.116)


さらに興味深いのは、意志を「切断」ととらえるハイデッガーの考え方です。過去を眺めることなく、未来だけを見つめて「未来を自分の手で作るぞ」というのが意志だ、と。


いわゆる「自己実現」や「ポジティブ・シンキング」を謳ったビジネス書によく出てくる考え方に似ています。都合の悪い歴史を意識から切断して未来ばかりを見ているネット右翼も、どこか似ています。


でも、それでは本当にモノを考えることはできない、とハイデッガーは言うのです。「人間は必ず時間のなかに、歴史のなかにいるのであって、そこから目を背けている限り、ものを考えることなどできない」(p.195)のです。


ちなみに、ここから展開される依存症の話と「意思決定支援」という考え方への問題提起は、福祉に携わる人必読です。なお、著者(國分氏)は「意思決定支援」にかえて「欲望決定支援」という言葉を提示しています。私自身もこちらの方がしっくりきますね。人間って、そんなになんでも「意思決定」できるもんじゃありませんから。


すでにだいぶ長くなっているのでこのへんにしますが、この後は(いよいよ)中動態やコナトゥスといった概念を手がかりに、「意志」と「責任」をめぐる議論の佳境に入っていきます。哲学者と障害当事者研究といった異分野が化学反応を起こして、新たな世界をどんどん切り開いていくさまを、すなかぶりで見ることができる一冊です。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!