自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2533冊目】『「この世界の片隅に」こうの史代・片渕須直対談集』


映画『この世界の片隅に』を監督した片渕須直氏と、原作を描いたこうの史代氏が、映画の公開から、(監督曰く長尺版の)「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の公開までの間に行った6つの対談を収めた一冊。この映画、徹底した時代考証と緻密なディテールでも話題になっていたが、それが想像をはるかに超えるものだったことに驚いた。そもそも原作のマンガ自体、マニアックともいえるほどの情報や仕掛けが、あのチャーミングでシンプルな絵の中にびっちりと込められているのである。


例えば、原作では2コマだけ登場する、ヨーヨーで遊ぶ子どもの背景は、昭和8年~9年のヨーヨー・ブームを意識してさりげなく挿入したもの。祖母が作ってくれた浴衣はワンピースに仕立て直され、空襲の後は裾が焼けてしまったため、裾が縫われて登場する。野草を使った料理のシーンでは、作者は実際に庭で雑草を生やしておいて、実際に味の組み合わせも考えて作ってみる。


建物についてもかなり細かいところまで目が届いている。今は平和記念公園になっている広島市中島本町は、当時の証言や資料をもとに描かれているが、「さらにいくつもの」では、最初の上映をみて寄せられた情報をもとに、さらにリアルな姿になっているとのこと。あるいは、朝日遊郭のシーンでは、リンさんたちのいる二葉館の前に、東京楼本店という実在した建物が描かれているのだが、看板が取り外された状態になっている。これは、もともと「グレート東京」と書かれていたのだが、戦時中の「横文字自粛」で取り外されているのだとか。原作では、文字がうっすらと残った形で書かれているのでよりわかりやすい。


全体を通しての仕掛けもある。「13年2月」の回と、5年10カ月後の「18年12月」の回には、どちらもすずが海苔の養殖の仕事を手伝うシーンが出てくるが、両者のコマ割りや人物の配置がまったく同じとなっている。これは「この子(すず)は大人になっても、あんまり変わってないよ」という意図が込められているとのこと。


さらに、すずが軍法会議所の周作に届け物をして話をする小春橋のシーンと、焼跡でたたずむすずを周作が見つけて語り合う相生橋のシーンが対になっていたり、もっと大きなところでは、物語冒頭の「すずと周作が人さらいにさらわれるシーン」と、ラストの「すずと周作が広島から戦災孤児を連れて帰る」シーンが対になっているという。確かに後者をある種の「人さらい」と考えれば、両者は完全に照応している。全然気づかなかった。


原作者のこだわりに対して、片渕監督のこだわりも負けてはいない。特に驚いたのは、キャスティングが決まる前に広島弁ですべてのセリフを吹き込んでもらい、その音源をもとに収録に臨んでもらったというところ。ちなみに、その時たまたま広島弁を吹き込んでくれた新谷さんの声が、すずのお義母さんにあまりにぴったりだったので、片渕監督は「このお義母さんは二度と手に入らないぞ」と確信し、そのまま声優に起用したのだそうだ。


だが、なぜこのマンガや映画は、ここまで細部にこだわるのか。原作者のこうの史代氏は、こんなふうに言っている。「生活のことを描いていると、『ミクロな視点でものを描いている』とよくいわれます。でも私は、そっちのほうがマクロな視点な気がしています。誰でもお腹は空くし、服は着るし、夜は眠くなる。そういったことのほうが圧倒的にみんなに共通しているし、マクロな視点だと思います」(p.166)


おそらく、この物語の核心はここにあるのだろう。戦争の下での生活そのものを丹念に描くこと。そうすることによってしか伝えられない何かを、この作品は伝えようとしているのだ。だからこそこの作品は、他の作品に類を見ないようなかたちで観る(読む)者に刺さってくる。


あるいは、こう言ってもいいかもしれない。私たちも送っているような「生活」を描くことで、私たちは無意識のうちに、すずさんの目線にすっかり同化してしまうのだ。だからこの作品は、観る者すべてにとって他人事ではなくなってしまうのである。私たちは誰もが、この世界の片隅に生を受け、そこから世界を見ている者なのだ。