自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【本以外】ハンセン病家族差別判決を受けて

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他にこの手の判決がどれくらいあるか知らないが、裁判所が国の反論を押し切って、国の賠償責任を家族にまで広げたのには驚いた。そういえば2001年の訴訟で勝訴判決が出たのも熊本地裁だった。あの時は小泉総理が「控訴せず」の判断を下し、回復者に謝罪するという画期的な展開となったが、さて今回はどうなるか。

 

なぜ家族差別に「国の賠償責任」が認められるの?って思っている人もいるかもしれない。確かに、強制隔離政策の直接のターゲットは患者であり、家族ではない。だからこそ、国も争っていたのである。

 

ただ、今回の判決内容はよく知らないのだが、強制隔離政策が取られていること自体が、国民の差別感情を後押ししたということは言えるのではないか。いくら滅多にうつらず、感染しても服薬で回復するといっても、だったらどうして国は隔離しているんだ、と言われてしまう。そもそも隔離する必要のない人たちを長年隔離していたこと自体について、2001年の訴訟で国が敗訴したのであるから、その影響が家族に及んだとしても、その責任もまた国に及ぶ、と裁判所は判断したのではないか。

 

さらに言えば、家族が差別を受け続けていた、あるいは差別を受ける可能性が残っていたからこそ、多くの回復者たちが、らい予防法の廃止以降も療養所内での生活を選んだのである。自由に外に出ていける身分となったにもかかわらず、彼らが帰ってくると、家族がまたいわれなき差別を受けるかもしれないと考えたのだ。入所者のなかには、地元では死んだことになっていた人も多いという。遺骨さえ引き取ってもらえないため、たとえば東京の多摩全生園には、納骨堂まで備えられているのをご存知だろうか。

 

それにしても、今回の裁判で敗訴したのは国であるが、さて、実際に差別をしていた人たちは何のとがめも受けなくていいのだろうか、ということが、この種の話が出るといつも気になってしまう。では「差別をしていた人」とは誰かと言えば、私は、これは自分も含めた国民全員の連帯責任と考えるべきだと思っている。今回の「国家賠償」は、見方を変えれば、単に政府の失策というだけでなく、国民一人一人が差別者の一員として負うべき賠償なのかもしれない。

 

え?「ワタシは差別なんかしません、ワタシは潔白です」って? あのね、人間はすべて本質的に差別者なのですよ。その自覚がない人が、実はもっとも酷薄で苛烈な差別者となっているのです。「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」って言葉を、そういう人はぜひ噛みしめていただきたい。