自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2346冊目】中村うさぎ・佐藤優『死を語る』

 

死を語る (PHP文庫)

死を語る (PHP文庫)

 

 

異色の組み合わせによる対談だが、内容も異色。臨死体験のこと、自殺について、死後の世界のことなど、「死」をめぐるかなりきわどい交わし合いが、縦横無尽に繰り広げられる。

もっとも興味を惹かれたのは、自殺をめぐるくだり。「人間には死ぬ権利がある」という中村、「死にたければ死ねばいい」という佐藤。だが一方で、中村は本書のあとがきで「私はもう二度と自殺は図らないだろうという気がする」と書いている。その理由は「夫が悲しむから」。

「家族とは、死にたいほどの絶望の中でも『死んではいけない』と囁きかける、ある意味、重い重い約束なのだ」という言葉は、読んでいて心に響くものがある。だがこのことは、自殺を無条件に否定するものではないようにも思える。自己中心的な理由に基づく自殺は論外としても、安楽死尊厳死、自らの死の意味、生の意味をしっかり踏まえた上での自死は、この考え方によれば否定はされないのではないか。

一方、佐藤のいう「近代以降の社会では、拡大再生産のシステムを維持するために、自殺が認められなくなった」という指摘も重要だ。これはつまり「社会を維持するために人口の維持が必要」という理屈なのだが、この考え方は根本のところで、人を「生産性」で測るものだ。言い換えれば、自殺は「社会に迷惑をかけるからやめなさい」ということになる。

これは恐ろしいロジックであって、意地悪く裏返せば「社会の役に立たない人は、死んでいい」ということになる。生産に貢献していない人に対する現代社会の「冷たさ」と、自殺を絶対的に否定する考え方は、同じ現象の裏表なのだ。

さて、本書はしょっちゅう話が横道に逸れるのだが、そうした余談の中でも面白いのが、「山本太郎という政治家が怖いのは、美学で動いているから」という指摘だった。権力に執着する政治家ですぐれた人は「同心円を描く」という。つまり自分の周りに後援会があり、地域があり、県があり、国があり、世界がある。この中で、自身の権力欲と社会や国家への貢献のバランスが取れていることが重要なのだ。ところが山本太郎のような「美学で動く」政治家が「自分のことは関係なく世のため人のためで動くと、とんでもないことをしでかす可能性がある」という。佐藤は、山本太郎の言説を「ポエム」だと断言する。

ちなみにもう一人、ポエムで動く美学型の政治家がいるという。誰だかおわかりだろうか。安倍晋三首相なのである。『美しい国』など、まさに現実から乖離したポエムそのものだ。ポエムで動く人に、論理や筋道や現実を突きつけてもムダである。だから国会でいくらデータを示して理詰めで責められても、安倍首相は平気なのだ。一見正反対に見える安倍晋三山本太郎が内面においては似た者同士だなんて、佐藤優にしかできない比較ではないだろうか。