自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1724冊目】和田万吉『図書館史』

図書館史

図書館史

図書館本17冊目。いよいよ図書館の「歴史」から図書館を考える。

本書は、なんと1936年に刊行された本の新訂版。オリジナルの格調はそのままに、ブックデザインは現代風で非常に読みやすいので、戦前に刊行された本とは思えない。

著者は日本の図書館学の黎明期を支えた人物だ。東京帝国大学図書館長を務め、現代の日本図書館協会にあたる日本文庫協会や、文部省図書館講習所の設立にも関わった。本書はその、文部省図書館講習所なる場所での講義が元になっているという。

日本の図書館史についてほとんど触れられていないのは残念だが、その分、世界の図書館史についてはかなり広い範囲をカバーしている。その範囲はなんと、歴史でいえばアッシリアバビロニア、空間でいえば欧州各国はもとよりラテンアメリカ、中国やインドなどアジア各国、さらにはアフリカ諸国に及ぶ。ソ連邦の図書館なんて項目が出てくるのも、時代が感じられて面白い。

しかしメインストリームは、やはり欧米の図書館史。古代において見識ある王によって収集保管された「文庫」が、中世の寺院文庫を経て、北米において公共図書館という形に一挙変容するという展開が、本書を読むとはっきり見えてくる。中世までは図書の帯出は例外的で、修道院などでは本に鎖がついていたことを考えると、現代図書館のルーツということを考えるにあたって、やはりこのアメリカ合衆国における転換がきわめて大きかったことがうかがえる。

しかし、なぜアメリカでそういう動きが起きたのか。著者はその原因を、ヨーロッパ諸国と違って、まさに図書館の歴史を持たなかったゆえと分析している。ポイントになる部分なので、ちょっと長いが引用してみたい。

「そもそも欧州の旧大陸では早い時代から図書館を持って、この物についての経験も自然年久しいのにかかわらず、また学問文学芸術の復興は甚だ目醒しい景況であったにかかわらず、図書館の発展は極めて遅々として牛歩を学ぶ観があったのは何故だろうか…(略)…古い歴史を持っている欧州諸国とかく旧慣先蹤に捉われやすく…(略)…図書館といえばいつもアレクサンドリアやペルガモンを憶起して、帝王の物好きかまたは都市の装飾物として存立するに過ぎざるものの如く考え、一歩を進めて有益有利の物とする人も、それは学者研究者のためであるとのみ思って、一般民衆には全然没交渉のものと断じていた…(略)…しかるに米国は如何と見るに、建国はなお至って新しく何らの古風旧制の人心を束縛するものは無く、怜悧なる人物が出て良い事を工夫すれば国民がたちまち挙ってこれに赴き走る姿である。ところで同国が植民時代の第十六、七世紀から国人の中にほとんど自発的に図書館の効用を知った者があらわれてきた。これらが先駆者となって次第次第にその趣味を同胞間に伝播して、ついにいわゆる公共用の図書館を作るようになった…(後略)」(p.133-5)


そして、アメリカが面白いのは、当初の会員制図書館の時から、そこを利用するのがいわゆるインテリではなく「書物は読みたいが資力はない、また人から借覧したいにも蔵書家と交際する身分がない」職工や商人だったということだ。

これはある意味、図書館の機能の本質を衝いた話であるように思う。日本でもどこかの町に図書館を作ろうと働きかけた際に「ここの町では誰も本なんか読みません」と言われた、というようなエピソードが語られることがあるが、実はそうした、普段本に接する機会が少ない人ほど本に飢えているのであって、同時に、そうした人々が本を読むようになることで、いわばその国民の知性や教養の「底上げ」が図られるのだ。そして、それこそが公共図書館の根幹的役割なのである。

似たような例は革命後のフランスにも見られたらしい。1881年にフランスの教育大臣が公立学校図書館目録の巻頭で、次のように書いているという。

「これら無料図書館は生徒公衆成人のものである。図書館は労働者農民が購入備え付け得ざるフランス書を送る。各村共集書を所有し得て、図書をいかなる家にも巡回せしめ、代償なく困難なく読書せしめる。読書はまず小児に始まり父母に及ぼす」(p.231)

「読書はまず小児に始まり父母に及ぼす」というフレーズがでてくるのは、これが公立「学校」図書館における宣言だから。興味深いことに、フランスでは公立図書館に先立って学校図書館が整備され、1862年の時点で、公共学校にはすべて図書館を設立することが定められたという。なお他にも、フランスには連隊図書館、工場文庫、労働図書館などさまざまな種類の図書館が整備され、海軍では「海の本」という組織があって、港で図書館を開いて乗船に際して貸し出しを行ったらしい。

ここでは古代から中世の図書館については触れられなかったが、これも本書には詳細に記述されており、粘土板の時代からの、「図書」に対する関心の強さには驚くべきものがある。そこには「知」の力を熟知し、その集積を行おうというすぐれた王の意向があり、中世になるとその役割は宗教団体に委ねられた。

中でも修道院は(清貧を謳い、物を持たないよう教えていたにも関わらず)膨大な書籍を収蔵した。宗教書はもちろん一般文学も多く含まれていたらしく、その理由としては、外の世界が戦乱で荒廃していたため、比較的危険の少ない寺院が、いわば「本の避難所」になったということがあったらしい。

ちなみに鎌倉〜室町時代の日本でも、寺院が仏典類のみならず一般文学の避難所になったというから、思わぬところで東西の共通点があるものである。なお、日本人の手による本ではあるが、本書には日本の「図書館史」はほとんど触れられていない。念のため。でもまあ、それを差し引いてもよくまとまった一冊だ。名著として復刊されたのもうなずける。