自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1725冊目】マシュー・バトルズ『図書館の興亡』

図書館の興亡―古代アレクサンドリアから現代まで

図書館の興亡―古代アレクサンドリアから現代まで

図書館本18冊目。昨日に引き続き、古代から現代まで、図書館をめぐる歴史を概観する一冊だ。

単線的な「発展史」ではなく、「興亡」というタイトルどおりの、一進一退の歴史が面白い。ヨーロッパだけでなくアジアやアラブにも目配りがなされているのも、欧米の著者としてはちょっと珍しいかもしれない。ちなみに著者はハーバード大学ワイドナー図書館などで長年司書を務めた方とのこと。歴史学者とか図書館学者かと思っていたので、これはちょっと意外だった。

アラブに関しては、世界史の教科書などでは、古代ギリシア・ローマの知がアラブに伝わり、それがルネサンスでヨーロッパに回帰したなどと、まるでヨーロッパの知の貯蔵庫扱いをされることが多い。しかし、本書を読むと、そうした見方は、アラブの知に対する失礼きわまりな態度であることに気づかされる。

実際には、とりわけ天文学代数学などの科学分野で、アラブは大きな進歩をなした。そして、それを支えたのがアラブの図書館兼学校兼研修センター「知恵の館」だったのだ。のみならず、アラブ社会ではたくさんの図書館が建てられ、「モンゴル人、トルコ人、十字軍」の蛮行で破壊されるまで、アラブの知を支え続けた。

それまで無味乾燥だった書物を芸術にまで高めたのもイスラームの遺産であった。中国から伝わった製紙技術をベースに、豪華絢爛たる装飾を施された書物が商人たちの間で高値で取引された。自らの書棚にその本を飾るためである。さらに驚くべきことにムスリム・エリートは個人の蔵書だけでなく図書館をまるごと、競って手に入れたがった」(p.84)という。

さて、本書が図書館の発展のみならず、破壊についても多く触れているのは先ほど書いたとおりである。そもそも秦の始皇帝による焚書坑儒以来、書物と図書館の破壊は、実は頻繁に行われてきた。それは近代に入っても続いたのであって、特に本書で大きく取り上げられているのが、ナチス・ドイツによる大規模な「焚書」である。

しかし、その一方ではユダヤ人ゲットーで本がむさぼるように読まれていたという指摘には、なんとも胸打たれ、書物や図書館の役割を心底考えさせられた。彼らは過酷な現実から逃避するために、あるいは過去の戦争や虐殺の歴史を学ぶために、争って本を手に取ったという。痛ましいことに、ゲットーから住民が強制移住させられるたびに、書物は図書館から「遺贈」された。借り手の住民ごと、書物もまた強制収容所に向かって「出発」したのだ。もちろん、二度と帰ってくることはなかった。

ユダヤ人と書物との関係では「ゲニーザ」という場所が面白い。これはヘブライ語で「倉庫」を意味する言葉で、そこにあらゆる「書かれた物」を集めておくとされた。ユニークなのは、そこにいっさいの価値判断は入らない、という点だ。価値があろうがなかろうが、ありとあらゆる書物や書類がそこに保管されたのだ。

ちなみに、ゲニーザは保管のための場所であり、閲覧は行われなかった。その意味で、厳密にはゲニーザは図書館ではない。しかし、図書館の役割を考えるとき、ゲニーザの存在は意味深だ。

ゲニーザは、当時価値がないと思われていた書類も保管する。そして、保管当時には無価値と思われていた資料が、後世の研究者にとってはものすごく重要な価値を帯びることは、決して珍しくない。

「ゲニーザは、イデオロギーその他で人々を虐げる斧をもたない。その点で図書館とはまったく逆の存在である。なぜなら、図書館は政治的中立性、透明性、しがらみのなさを標榜してはいても、著者である王侯、博愛主義者、学者などの隠されてはいるが、しばしば矛盾する衝動を内蔵している」(p.248)

他にも本書では、破壊を免れるため岩壁に文字を刻みつけた古代中国の「図書館」、近世ヨーロッパのコーヒーハウスを舞台に起きた「書物戦争」のこと、司書の役割と悩みのこと、黒人に対して扉を閉ざしていたアメリカの図書館のことなど、とにかく面白くて示唆的なエピソードが満載だ。図書館について、書物について知りたい方、面白がりたい方には絶好の一冊である。