【2081冊目】梅棹忠夫『文明の生態史観』
「進歩史観」は、進化を一本道と考え、それぞれの国や社会の違いは、同じゴールに向かう途中の発展段階の違いであるというふうに考える。一方「生態史観」は、サクセッション(遷移)ということを考え、多元的で並列的なかたちで歴史を捉える。「一定の条件のもとでは、共同体の生活様式の発展が、一定の法則にしたがって進行する」と著者は説明している。
ちなみに、本書は名著とされているが、本書で提示されている「生態史観」という方法がどれほど広く認められ、定着しているかというといささか疑問である。おそらく本書の「キモ」は、結論として示された着想より、その背後にある方法論にあると思うのだが。
内容についていえば、著者は日本を「アジアの一部」と見すぎることに対して、警告を発している。同じアジアといっても内実は多様である。とりわけ日本はきわだった特徴をもっており、それは西洋でいえばイギリス、フランスあたりと共通する部分が多いというのである。
著者によれば、旧世界(いわゆるユーラシア大陸)は大きく第一地域と第二地域に分けられる。「第一地域」は高度な近代文明をもっており、かつては封建制を体験し、それが社会構造の中に、ブルジョワ(分厚い中間階層)として存在する。政教分離が早くに起こったのも第一地域であった。日本、イギリス、フランス、ドイツあたりはここに入る。
「第二地域」のほうは、封建制を経験せず、専制的な大帝国によって支配され、場合によってはすさまじい革命を経験してきた。中国、ロシア、インド、イスラム諸国はすべてここに入る。共通点は、ユーラシア大陸の比較的中央寄りにあって、それゆえ中央アジアあたりに勃興した騎馬軍団の蹂躙を受けたということ。逆に言えば、第一地域はモンゴルをはじめとした強力な軍隊の支配を受けていない。
だから日本は「ほかのアジアとは違う」のであって、だからこそ、たとえば日本の近代化を他のアジア諸国が真似ようとしても、なかなかうまくいかないということになる。その理由は、明治維新以前からの社会や文化の基盤が日本には存在するから。明治期以降に流入した西洋文明は、要するにこの基盤とフィットしたのである。イギリスやフランスなど、ユーラシア大陸の反対側ではぐくまれたものが日本と親和性が高かったのは、繰り返しになるが日本がイギリスやフランスと同じ「第一地域」に属しているからなのだ。
この捉え方は一歩間違うと単なる「日本優越論」に堕してしまうが、本書の提供するスコープは、さすがにそんな安易なものではない。何といっても、世界史を学ぶ上でもっとも分かりづらく、教科書にもあまり記述がない中央アジアあたりの騎馬民族国家に着目することで、日本からヨーロッパに至るまでの巨大なエリアを一望できる視野を提供しているのだ。その鮮やかな論理展開は、ぜひ本書を読んでほしい。著者の思想と方法が本格派であって、決して「日本スゴイ」「日本立派」「日本マンセー」と叫ぶ手合いではないことがよくわかる。
本書には他にも、東南アジアやインド、アラブ世界をめぐる卓抜な考察がいくつも収められており、1950年代に書かれたとは思えないほど、文章は的確でわかりやすい。特に、東洋や西洋に対する「中洋」という呼び方は素晴らしいと思う。中央アジアやイスラム諸国、インドや東南アジアの重要性を、この時代にここまで指摘した書籍はあまりないのではなかろうか。