自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1894冊目】清水克行『耳鼻削ぎの日本史』

 

耳鼻削ぎの日本史 (歴史新書y)

耳鼻削ぎの日本史 (歴史新書y)

 

 

「ミミヲキリ、ハナヲソギ」

 

人の耳や鼻を生きながら削ぐ「耳鼻削ぎ」。本書は、このグロな行為に注目して、中世から近世までの日本史を文字通り一刀両断した、前代未聞の一冊である。

まず、中世における「耳鼻削ぎ」であるが、これは女性や僧侶が対象とされた「死に準ずる刑罰」であった。耳や、特に鼻はその人間の人格を象徴する部位であり、そこを削り取ることが「死」になぞらえられたのだ。耳鼻削ぎは死を一等減じた「宥免措置」であった。ちなみに僧侶以外の男性はどうだったかというと、「烏帽子」や「髻」が同じような意味合いを帯びたシンボルだった。

ところが、戦国時代になると、耳鼻削ぎには異なる意味が与えられる。耳や鼻は、首に代わる「戦功の証」として、首を本陣に持参できないときの代用品にされたのだ。具体的には、大将クラスは首、その他大勢の雑兵の場合は耳や鼻だった。つまり耳鼻削ぎは、戦功認定が「合理化」された結果、行われるようになったというのである。

とまあ、こんな感じで本書は、人の耳や鼻を削ぐという、現代から考えるとなかなかにおぞましい行為を通じて、中世から戦国、さらには江戸時代に至るまでの日本人の刑罰観や価値観を浮き彫りにしていく。特に、秀吉の頃から江戸時代にかけて「見せしめ」として耳鼻削ぎが行われたという指摘には、考えさせられるものがある。

ところで本書には、著者の専門外であるためかやや控えめに、中国などアジア諸国との比較が挙げられているが、これが案外おもしろい。例えば、中国では耳鼻削ぎは前漢のころすでに廃止されていた。しかし一方では、「宮刑」という陰部を切断する刑罰は残存した。

ところが、中国文化の大きな影響を受けた日本では、なぜか宮刑は「輸入」されず、「耳鼻削ぎ」のほうが残った。つまり日本では「陰部」ではなく「耳や鼻」を切ることになったのだ。なぜだろうか。

もうひとつナゾなのは、そもそも著者がなにゆえここまで「耳鼻削ぎ」に惹かれたのか、ということだ。耳塚や鼻塚が本書の導入と末尾に登場するが、それがきっかけなのか、あるいは別の理由があったのか。研究の成果にはあまり関係ないかもしれないが、そのへんの事情を、あとがきでもいいので読んでみたかった。