【893冊目】東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』
- 作者: 東浩紀
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/12/18
- メディア: 単行本
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著者の「本業」は批評家、現代思想家だが、そっち方面の著作は未読。小説第1号にあたるという本書で、この著者の本を始めて読んだことになる。
冒頭近くで、まさしく35歳の自分にとって他人事ではないフレーズが登場し、「おっ」と惹き込まれた。こんな文章だ。
「生きるとは、なしとげられるはずのことの一部をなしとげたことに変え、残りをすべてなしとげられる《かもしれなかった》ことに押し込める、そんな作業の連続だ…(略)…直接法過去と直接法未来の総和は確実に減少し、仮定法過去の総和がその分増えていく。そして、その両者のバランスは、おそらくは三五歳あたりで逆転するのだ。その閾値を超えると、ひとは過去の記憶や未来の夢よりも、むしろ仮定法の亡霊に悩まされるようになる。それはそもそもがこの世に存在しない、蜃気楼のようなものだから、いくら現実に成功を収めて安定した未来を手にしたとしても、決して憂鬱から解放されることがない」
ここに書かれている内容自体は、特に目新しいようなことではない。本書でも名前が挙がっている村上春樹や、最近読んだ重松清も、同じようなテーマでいろいろ書いている。ところが、重松清がそのことをあくまで現実の枠組みの中で見据えようとしたのに対して、東浩紀は量子力学における「並行世界」の概念を導入し、「仮定法の過去」の世界を量子的な「並行世界」として表現することで、この問題の様相を一変してみせた(これって村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』へのオマージュ? と思っていたら、小説の中でも言及されていてびっくり)。
確かに、量子論の世界では無数の「並行宇宙」の存在が論理的に措定され、その上に独特の理論が構築されていく。ところが、本書はそれを個別具体の物語として翻案し、しかも近未来の、極端に肥大化し複雑化したネット空間の「ゆらぎ」が、異なる並行宇宙間の「通路」を開くという設定をかませてみせた。いわば量子論に基づくSF的・サイバーパンク的世界観を導入することで、「ありうべき過去」を「ひとつの現実」としてリアライズしてしまったのだ。
この小説は、主人公の「ぼく」こと葦船往人の視点と、その「娘」である葦船風子の視点が交互に登場する前半と、異なる並行世界に存在していた量子的な「家族」=クォンタム・ファミリーズが一堂に会する後半部分に大きく分かれている。その筋書きはお世辞にも分かりやすいとは言えず、正直、最後の方は何がどうなっているのか、どの世界の誰がどうなったのかさっぱりわからなくなってしまった。しかし、ストーリーからは脱落しても、その会話の端々に感じられるエッジの鋭さと、量子論を取り込んだ独特の世界観はたいへん面白い。ハイゼンベルクやシュレディンガーなどの量子力学に関する本を読んでみたくなった。あと、東浩紀の「批評」のほうも、そのうちぜひ手に取ってみたい。