自治体職員の読書ノート

自治体で働くソーシャルワーカーが、読んだ本を紹介します。

【2387冊目】陳浩基『世界を売った男』

 

世界を売った男 (文春文庫)

世界を売った男 (文春文庫)

 

 

短篇集『ディオゲネス変奏曲』で驚かされた華文ミステリの俊英、陳浩基のデビュー作。最初の作品というのが信じられないくらいの、スピーディで意外性に富んだ展開が素晴らしい。時々挿入される「断片」がほどよいヒントになっているのも巧さを感じる。

車の中で目を覚ました主人公は、過去6年間の記憶がすっ飛んでいる。なにしろ、昨日と思っていた出来事が6年前なのだ。刑事である自分は、その時はどうやら、ある殺人事件を追っていた。たまたま自分とアポイントを取っていたらしい雑誌記者の女性と一緒に、主人公は6年ぶりの「捜査」を始めるのだが・・・・・・。

タイトルの「世界を売った男」は、デヴィッド・ボウイのタイトルから。冒頭に掲げられた歌詞は単なるオマージュかと思いきや、実はこれがアガサ・クリスティマザーグース横溝正史の手毬唄であることに、ある瞬間気付かされる。

主人公らの冒険活劇、無数の伏線が一挙に回収される快感、その先に待ち構えている痛烈なアイロニー。トリック自体は記憶喪失モノの定番であり、なんとなく察しがつく部分もあるのだが、それでも一挙に読ませるのはやはり著者の腕の確かさであろう。これを「新本格」と解説で恩田陸が称賛しているが、むしろ私には、本書はロンドン中で活劇を繰り広げるシャーロック・ホームズの、あるいはデュパンを書いたポオの正統な末裔であるように感じた(とりわけ「自己」の不確かさを不気味に描く技術は、ポオの怪奇小説を思わせる)。

あえて言えば、「車」にまつわる部分で一点だけ不満が残ったのだが、書いてしまうとネタバレなのでここでは黙っておく。まあ、ミステリ好き、本格推理好き、ホームズ好きのどれかにあてはまる人であれば、読んで損はない一冊だ。