【2785冊目】村瀬孝生『ぼけてもいいよ』
「第2宅老所よりあい」は、福岡市にある高齢者の生活の場のこと。本書は、この地域の中のごくふつうの民家に、通い、あるいは暮らすお年寄りとの日々を綴った一冊だ。
高邁な理想を唱えるのは簡単だ。でも、現実にシモの世話をし、同じ問いかけに何度も答え、「家に帰る」というお年寄りといっしょに何時間も歩くとなると、これはなかなかたいへんなのだ。本書には、そんな実践の日々から生まれた、地に足のついた言葉が散りばめられている。それは一見平凡だが、ときにドキッとするほど鋭く、こちらの思い込みをえぐってくる。
たとえば本書の冒頭では、北朝鮮の拉致被害の報道に重ねて、著者はこんなふうに書く。「老人福祉の現場も“拉致”と似たような状況を高齢者に作り出していると思える」「北朝鮮の拉致は人間の権利や尊厳を踏みにじる行為であって、われわれのおばあちゃんへの行為は権利や尊厳を守るためのものであった。本質的に違うことは間違いはない。けれど当事者からすれば、訳のわからぬうちに見知らぬ土地に連れてこられ『ここで暮らしなさい』と強要されるのだから理不尽であったに違いない」(p.10-11)
自分の属する業界や組織に対してこういうことを言う人は信用できると思う。読み進めていくと、やはりのこと、血の通った金言が次々に登場する。ここではそのいくつかを紹介するが、ほんとうはどの言葉も、「第2宅老所」での日々があってのものなのだ。気になる言葉があったら、ぜひ本書を読んでほしいと思う。
「僕たちは訓練やセラピーで相手を“変えること”ばかり考えてきた。“変えないこと”も大切であることを教えてもらった。ぼけのあるお年寄りにも、そのことが重要だと多くの人が気づき始めた」(p.61)
「最後に人は死ぬ。今まではそう思っていた。でもそうではなかった。人は最期まで生きるのだと思った」(p.119)
「問題が起きる前に介入する介護職の存在が、実はお年寄りを実感ある生活から遠ざけている」(p.223)
「男は女に比べて失うものが多い。背伸びして、意地を張って獲得したものは老いるともろくも崩れ去る。失うものが多ければ多いほど、苦痛も比例する。その苦痛と真摯に向き合ってきた漢は長生きをする。そして澄んだ瞳を手に入れる。それが立派なおじいちゃんの証」(p.286-287)
(「介護負担」という言葉に対して)「でも僕たちは思う。自然の摂理として訪れる老いに付き合うこと。それに付随する生活上の不都合に付き合うこと。生き尽くした最期に死があること。その死に付き合うということ。それは決して無駄なことではないと。確かに大変だけど負担と呼んでしまうのはいかがなものかと」(p.307)
あと、本書は写真がいい。何気ない日々の風景を撮っているだけなのだが、そこにいるお年寄りたちの表情が、なんとも味わい深いのだ。ぜひ、文章と一緒に味わってほしい。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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