【1531冊目】ミッチ・アルボム『モリー先生との火曜日』
- 作者: ミッチ・アルボム,別宮貞徳
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2004/11/21
- メディア: 単行本
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dainさんご紹介の「死を忘れないための3冊+」2冊目。バリバリのスポーツコラムニストである著者と、ALS(筋委縮性側策硬化症)に侵された大学時代の恩師、モリー先生との交流を描く一冊だ。
ALSは過酷な病気だ。精神は完全に目覚めたまま、身体の動きが徐々に奪われていく。著者がモリー先生に出会った時、余命は2年と言われていたが、モリー先生はそれ以下と見ていたらしい。
著者はそんなモリー先生のもとを、毎週火曜日に訪れる。看病するため? お見舞いのため? いやいや、そうではない。「授業を受けるため」だ。たった一人の生徒に向けた「人生の意味」に関する授業。教科書は、ない。
本書はその「授業」の記録であり、同時にモリー先生が一歩一歩、死に向かって歩む日々の記録でもある。そして「授業」を通じて徐々に変わっていく著者自身の記録にもなっている。
過酷な難病に侵され、身体の自由を奪われつつあるモリー先生は、なぜ穏やかで幸せそうに見えるのか。そこにはどんな心境があり、人生があったのか。
本書に紹介されているモリー先生の言葉は、実にストレートにこちらの胸を打つ。「財産」や「名誉」はそれほどなくとも、意味に満ちた充実した人生を送り、その中で深く思索を練ってきた人にしか語りえない言葉であろう。特に私の胸に刺さったものを、紹介する。
「多くの人が無意味な人生を抱えて歩きまわっている。自分では大事なことのように思ってあれこれ忙しげに立ち働いているけれども、実は半分ねているようなものだ。まちがったものを追いかけているからそうなる。人生に意味を与える道は、人を愛すること、自分の周囲の社会のために尽くすこと。自分に目的と意味を与えてくれるものを創り出すこと」(p.48)
「家族っていうのはそういうものなんだ。単に愛だけじゃなくて、見守っている人がいますよ、とわからせてくれること。(略)それを与えてくれるものはほかに何もないんだよ」(p.95)
「切り離すっていうのは、経験を自分の中にしみこませないことじゃない。むしろその反対で、経験を自分の中に十分にしみこませるんだよ。そうしてこそ、そこから離れることができる」(p.107)
「私自身の中にすべての年齢がまじり合っているんだよ。三歳の自分、五歳の自分、三十七歳の自分、五十歳の自分ていうように。そのすべてを経験して、どんなものだかよくわかっている。(略)私は今のこの年までのどんな年齢でもある。わかるかい?」(p.124〜5)
「結婚ていうのは、テストされるんだよ。自分がどういう人間か、相手がどういう人間か、適応できるかできないか、それを見つけるのが結婚だ」(p.151)
「許さなければいけないのは、人のことだけじゃない。自分もなんだ」(p.168)
特に最後の言葉は、私自身の臨終の際、ぜひ思い出したい一言だ。珠玉である。
そしてそして、本書終盤、モリー先生の死が間近くなってきてからは、もう涙なくしては読めません。私は本を読んで涙が出ることってあまりないんだけど、本書は例外。映像化もされているらしいが、観る時はハンカチ必携だ。
ああ、モリー先生みたいになりたい。人生の組み立て方を、イチから考え直したい。心底そう思えるすばらしい一冊。出会えたことに、感謝。