【1979冊目】梨木香歩『村田エフェンディ滞土録』
不思議なタイトルである。「エフェンディ」とは学問を修めた人物への敬称とのことだが、滞土録の「土」は……? と思ったら、「土耳古」すなわちトルコのこと。本書は、日本人の村田センセイがトルコに滞在したときの記録、という体裁の小説なのである。
時代は1899年というから、革命前の、アジアとヨーロッパが交錯するごった煮のようなスタンブール。イスタンブールじゃないの? と思ったら、スタンブールとは19世紀から20世紀初期の西欧諸国によく見られた呼称で、コンスタンティノープルが大都市全体を言い表すのに対し、スタンブールは中心部の歴史的な半島部分を指すらしい。
ともあれ、スタンブールは東西の交わる地。いまだ帝政の続く当時のトルコ(オスマン・トルコですな)の首都である。この地の歴史文化を学びに来た村田が住んだのは、イギリスのディクソン夫人が彼女自身の屋敷を使って営む下宿だった。そこで出会ったのは、ギリシャ人のディミィトリス、ドイツ人のオットーという二人の下宿人と、そしてそこで働くアラブ人のムハンマドであった。
民族も宗教も異なる人々の織り成す日々は、なんと刺激的でユーモアに富んでいたことか。本書はそんな、村田氏の青年時代の一幕を活き活きと描き、帰国後のそれぞれの軌跡を追うことで、その記憶を一挙にセピア色に染め上げる。どれほど回想しても、あの日々は二度と帰ってこない。だからこそ、その記憶はたとえようもなく美しくきらめいているのだ。読むほどに、私自身の青年の日々はどうだっただろうかと考え込んでしまった。
本書の前半に、ギリシャ人のディミィトリスが、古代ローマの劇作家テレンティウスの言葉を村田に伝える場面がある。村田はこの言葉を、帰国してからも永く忘れなかったという。多分私も、少なくともしばらくは忘れないだろう。こんな言葉である。
「私は人間だ。およそ人間に関わることで、私に無縁なことは一つもない」
殺伐とした現代の日本人こそ、心に刻むべき言葉であろう。