【2312冊目】若松英輔『生きる哲学』
哲学、という言葉からはなかなか連想しないような人々が並ぶ。作家の須賀敦子や原民喜、染色家の志村ふくみ、料理研究家の辰巳芳子。中でも美智子皇后が登場するのが意外でおもしろい。いわゆる「哲学者」の枠にあてはまりそうなのは、孔子やフランクル、井筒俊彦くらいだろうか。
だが、読んでいると、これこそ哲学の本来だ、と思えてくる。哲学がただの机上の学問としてではなく、生きることそのものと一体化している。いや、もともと哲学とは、人がいかに生きるべきかの指針であり、生きるとはどういうことなのかについて考えるものだったはずだ。その意味で本書は、意外な人選に見えて、哲学の「おおもと」に立ち戻る一冊といえるのかもしれない。
本書は序章で、池田晶子の「分かることは、変わること」であるとする一文を引いている。ある事柄、ある言葉がほんとうに「分かる」とは、自分自身がそれによって「変わる」ほどのことだという。ほんとうに「分かる」とは、それほどに大変なことなのだ。
だから私自身も、本書の内容が「分かった」とは、今はまだ言えないかもしれない。だが、綴られている言葉の中で「分かるべき」「分かりたい」と思える部分は多くあった。その一部を、ここに記録しておく。今はまだそこまでの境地に至らなくても、いずれ「分かる」ことによって「変わる」ための道標として。ちなみに引用はすべて著者自身の文章からのもの。
須賀敦子
「生きることについて知ることが大事なのではない。生きること『を』、知らねばならない。自分の生にだけは、いつも直接ふれていなくてはならない。それが須賀敦子の信条だった」(p.31)
舟越保武
「ダミアンが病を身に受けたとき、自分が患者たちに寄り添っていたのではなく、むしろ、彼らがいつも自分の傍らにいてくれたことに気がついたように、舟越もまた、半身の自由を失ったとき、それまでに感じることができなかった実感をもって、イエスの臨在を感じたのではなかったか」(p.54)
原民喜
「祈りは、願いではない。むしろ、祈るとは、願うことを止め、何ものかのコトバを身に受けることではないだろうか」(p.64)
孔子
「愛する者を喪い、私たちが悲しむのは、単なる抑えがたい感情の発露ではないだろう。悲しみは、それを受け取る者がいるときに生じる一つの秘儀である」(p.92)
志村ふくみ
「意思よりも先に導きがやってくる。むしろ、人間のもっとも大切な仕事はこの導きを見過ごさないことにある」(p.98)
堀辰雄
「人は、常に今にしか生きることができない。やわらかな風は、どこまでも今を愛せと告げる。語るのは自然であり、聴くのが人間であるという公理を、風は幾度となく示そうとする」(p.121)
リルケ
「対称の認識においては誤っているが、その彼方に見るものには大きな意味がある」(p.136)
神谷美恵子
「人を真に驚かす言葉、あるいは人を真に救う言葉は、いつもその人の本人の魂において生まれる。先哲の、あるいは詩人、偉人と呼ばれる人の言葉は、その人が自らの胸に潜んでいるコトバに出会うための道しるべにすぎない」(p.159)
ブッダ
「人格者に出会ったとき、私たちは『あの人には哲学がある』という。このときの『哲学』とは血肉化された叡知の異名である」(p.169)
宮澤賢治
「かなしみがある。だから、幸福を全身に感じると賢治はいう。この世には身にかなしみを受けて生きてみなければ、けっして映じてこない風景がある」(p.186)
フランクル
「人は、単に生きているのではない。生きることを人生に求められて存在している。人生が、個々の人間に生きることを求めている。人生はいつも、個々の人間に、その人にしか実現できない絶対的な意味を託している」(p.211)
辰巳芳子
「食は『いのち』と直結している。また、食とは、肉体が滅んでも『いのち』はけっして失われないことを日々新たに体験することである。さらに食は、万人に開かれた『いのち』を経験する場でもある。いつどんな人でも、食を通じて、万物を生かしているもう一つの大いなる『いのち』にふれることができる。食とは『いのち』と『いのち』の交感である」(p.234)
皇后
「他者への情愛は、喜びのうちにもあるだろうが、悲しみのなかにいっそう豊かに育まれる。なぜなら、悲しみは、文化、時代を超え、未知なる他者が集うことができる叡知の緑野でもあるからだ。喜びにおいて、文化を超えて集うことはときに困難なことがある。しかし、悲しみのとき、世界はしばしば、狭くまた近く、そして固く結びつく」(p.244-245)
井筒俊彦
「よく書けるようになりたいなら、よく読むことだ。よく読めるようになりたければ、必死に書くしかない。よく読むとは多く読むことではない。むしろ、一節のコトバに存在の深みへの通路を見出すことである」(p265)