hachiroetoのものぐさ遊読帖

自治体職員。仕事は福祉系。読書は雑食系。

【2542冊目】サマセット・モーム『月と六ペンス』

月と六ペンス (新潮文庫)

月と六ペンス (新潮文庫)


大傑作である。久しぶりに読み返したが、あらためてものすごい作品だと思う。人間の真実そのものが、この一冊にあますところなく描かれている。

ロンドンの平凡な株式仲買人ストリックランドは、突然仕事を辞め、妻子も放り出してパリに行ってしまう。画家になったと言うが、描いた絵はほとんど手放さず、生活は貧窮を極めている。「どうして自分に才能があると思ったんです?」という「わたし」の問いかけに、ストリックランドはこう答える。「描かなくてはいけないんだ」


単なる脱サラ中年の話ではない。「何かをやりたくて」仕事を辞めるなんて大したことじゃない。ストリックランドにとってむしろ、絵を描くことは苦行に見える。実際、ブリューゲル父について、彼はこう言うのである。「ブリューゲルはいい。この男にとって、描くことは地獄だっただろうな」(p.270)


ストリックランドはゴーギャンがモデルと言われる。そうなのかもしれないが、むしろモームは、画家として生きざるを得ないという意味で、本物の芸術家そのものを描いたように思われる。ゴーギャンもその一人、ストリックランドもその一人。そう考えた方がよい。そこにあるのは、天才というもののもつ本質的な孤独である。彼らは何かに突き動かされ、そのようにしか生きられないのだ。そんな彼を受け入れることができたのは、窮屈なヨーロッパの文明社会ではなく、南洋のタヒチだった。


この間読んだ『羊と鋼の森』が物足りなかった理由も、本書を読んで見えてきた。芸術や人間のもつ「影」の部分が、あの本にはまるで欠けている。周辺の人物にしても、たとえばストルーヴェのような存在感がまるで感じられず、薄っぺらな書き割りのようだ。モームと比べるのは酷というものかもしれないが、両者の違いは、作家という「芸術家」として到達している深みの違いに帰着するように思われる。作家の9割以上は、おそらく「書きたくて」書いている人である。だが、モームはおそらく、ストリックランドと同じ「書かなければならない」人、作家になりたくてなったのではなく、作家になるしかなかった人なのだ。