【2490冊目】小川洋子『小箱』
不在の物語。
「私」が住んでいるのは、以前幼稚園だった建物だ。お遊戯室の壁に貼られたカードからフックに1つだけ残された園児の帽子までが、そこにはそのまま残されている。そして、講堂には、ガラスケースがずらりと並んでいる。
ケースに入っているのは、死んだ子どもたちのための物ばかり。遺品、ではない。子どもたちの「成長」に合わせて、中身は時々入れ替えられる。子どもを亡くした親たちは、ひっそりとそこを訪れるのだ。
「私」のもとを訪れる人々も、いっぷう変わっている。歌うことでしか話せない「バリトンさん」、来るたびに庭の遊具で遊ぶクリーニング屋の奥さん、死んだ子供が歩いたところしか歩けず、死んだ作家の本だけを読む従妹、等々。そして、町はずれの丘では奇妙な音楽会が開かれる。「一人一人の音楽会」と呼ばれるその音楽会では、「演奏家」たちは小さな小さな楽器を自分の耳たぶにぶら下げる。貝殻や木片やセロファン紙でできた楽器には、子どもたちの遺髪でつくられた弦が張られているものもある。楽器を奏でるのは、丘を吹く風。そのかそけき音は、「演奏家」にしか聞こえない。
なんという「壊れやすさ」に満ちた世界観。だがそこでは、人々は静かで、礼節があり、お互いを深く尊重している。子どもの死という、もっとも過酷で傷つきやすい経験を経ているためか、そこではお互いの弱さが許され、過去を振り返ることが許されている。そこは、不在によって支配された世界であって、負のかたちで穿たれた社会なのである。