自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2416冊目】里中高志『栗本薫と中島梓』

 

栗本薫と中島梓 世界最長の物語を書いた人

栗本薫と中島梓 世界最長の物語を書いた人

 

 

中学生で『グイン・サーガ』に、高校生で『魔界水滸伝』にハマった。大学生の頃に読んだ『コミュニケーション不全症候群』には衝撃を受けた。物を書くことに興味があった社会人1年目あたりで『小説道場』を読み、ぶっとんだ。思えば栗本薫中島梓の本は、つねに私の生活の傍らにあった。特に『グイン・サーガ』との付き合いは、中学生から社会人10年目までの20年近くにわたり、後半はほぼリアルタイムで読み続けてきたことになる。本書の中でも誰かが語っていたが、実人生とパラレルな「もう一つの世界」が、つねにそこにあるようだった。こんな作家は、もういない。

本書はこの異能の作家・評論家の深層に斬り込んだ労作だ。著者は私とほぼ同年代であり、生前の著者に会ったのはわずか1回とのことであるが、その分、多くの関係者の言葉や中島梓栗本薫自身ののこした作品、「あとがき」、ネット上の文章などをもとに、立体的に「中島梓栗本薫」の人物像を組み立てている。著者の本を読むのは初めてだが、冷静で客観的な筆致の中にあふれんばかりの「中島梓栗本薫愛」が感じられて心地よく、彼女自身が乗り移ったようなリーダビリティの高さはすばらしい。

そもそも山田純代という本名がありながら、なぜ2つのペンネームを使い分けたのか。評論家が中島梓、作家が栗本薫、と思われがちだが、実はそうではなく、彼女自身の複雑で多重的な人格のうち、外交的で活動的なキャラクターが中島梓、内向的でフラジャイルな面が栗本薫、であるらしい。

実際、彼女はただ文章を書いていただけではなかった。ピアノを弾き、長唄をたしなみ、芝居では演出に携わり、さらに一児の母であり料理の名手でもあった。同時に何歳になっても孤独な少女としての内面を持ち続け、「地球に来てしまった異星人」「存在することが許されない自分」を終生抱え続けた。

本書で初めて知ったのが、中島梓には弟がおり、その弟はほとんど寝たきりの重度障害者であったということだ。いきおい、母はもちろん、家庭のすべてが弟を中心にまわることになり、彼女は母の注目を得たくとも得られない葛藤を抱えていたのだ。『弥勒』という自伝的作品には、次のようなくだりがあるという。胸を引き裂かれるような文章だ。

「私は賞なんかほしくなかった。ものを書いていったりインタビューをうけたくもなかった。それは私の望んでいる劫火のためにはあんまり熱のないすずしいぬくもりでしかなくて、私はガタガタふるえてしまう。私を見て下さい、私を愛して下さい、と私の空洞がありたけの声でわめくのだ。とんちゃんじゃない、ママ、私を見て!」(本書p.201より孫引き)

 

 

そんな彼女にありあまるほどの作家の才があったことは、救済であったのか、あるいはさらなる煉獄に彼女を突き落としただけだったのか。自ら「天性のストーリーテラー」「ありとあらゆる壮大なドラマの万華鏡に、私の頭と手が追いつかない」と言い、「スランプで書けなくなる」どころか書かないでいると不調になる。ゲラの直しを要求されると編集者の目の前で原稿用紙を取り出して書き始め、一文字の書き直しも書き損じもなく、以前と同じ文字数にぴたりと収める。グイン・サーガは1巻が4章立て、1章が原稿用紙100枚だから一冊で400枚。原稿用紙で書きながら、400枚目の最後の行でぴたりと終わらせるというから、これはもはや神業というしかない。

ファンタジー、ホラー、推理小説、時代小説など百花繚乱の小説絵巻を展開しつつ、それでも男が男を犯すJUNE小説を書き続け、そこに自らの切実をもっとも濃密に注ぎ込んだ。生涯に424冊の本を世に送り出しながら、自身でも言うとおり「本質的にマイノリティ」の存在であり続け、弱い人、よるべない人、傷ついた人、この世界に違和感を感じつつ生きている人のそばに立ち続けた。とんでもない作家、とんでもない人物であったのだと、本書を読み終えて、本心から思う。同じ時代に生き、リアルタイムでその作品を読めたことは、ものすごい幸運なことであったのだ。

 

豹頭の仮面―グイン・サーガ(1) (ハヤカワ文庫JA)

豹頭の仮面―グイン・サーガ(1) (ハヤカワ文庫JA)

 

 

 

魔界水滸伝〈1〉 (角川文庫)

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コミュニケーション不全症候群 (ちくま文庫)

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小説道場〈1〉

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弥勒

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