【2404冊目】中谷宇吉郎『科学以前の心』
世界で初めて人工雪を生み出した中谷は、寺田寅彦の弟子筋であり、寺田同様の名エッセイストでもあった。本書はその中から福岡伸一が名品をセレクトした「ベスト盤」。「科学以前の心」というタイトルは所収エッセイの1つからとったものだが、本書自体の特徴をうまくあらわしている。
では「科学以前の心」とはどういうものなのか。例えば中谷は、子ども向けの紙芝居で「電気の知識とか、飛行機の原理」などの科学普及をやりたいという声に対して、こう答えたという。
「電気の知識なんか、紙芝居にはもったいないですよ。それよりも孫悟空でもおやりになったらいかがです。その方が科学の普及と言ってはどうか分かりませんが、将来の日本の科学のためには役に立つでしょう」(p.124)
なぜか。そのすぐ後に中谷はこう続ける。
「孫悟空に凝って、金箍棒や羅刹女の芭蕉扇をありありと目に見た子供は、やがて原始の姿をも現身の形に見ることができるであろう」
「原始」はひょっとしたら「原子」の間違いではないかと思うのだが、それはともかく中谷が言うのは、知識の詰め込みよりも想像力を育むことのほうが、科学にとってはずっと大事であるということだろう。「イグアノドンの唄」というエッセイではこんなふうにも書いている。ちなみに、この「アマゾンの秘境の情景」とは、中谷自身が子どもたちに語ったコナン・ドイルの『失われた世界』のことである。
「子供というものは、魚粉と稲茎の粉との混じった団子を食ったことは忘れるが、そのとき聞いたアマゾンの秘境の情景は、なかなか忘れないものである」(p.200)
中谷宇吉郎のエッセイは『雪』しか読んだことがなかったが、こうしてまとめて読むと、科学のことを書いているのだが、それでいてなんとも滋味があり、抒情があるのがすばらしい。寺田寅彦ほどの才気煥発は感じられないが、そのぶんどこか「朴訥としたダンディズム」のようなものが横たわっている。戦中から戦後にかけて書かれたエッセイであるにもかかわらず、ほとんど文体も内容も変わっていないというところも好もしい。なかなかの筋金入りだったのだろう。いまどき、こんな「科学語り」ができる人はどこかにいるのだろうか。