【1445冊目】鎌田浩毅『地震と火山の日本を生きのびる知恵』
- 作者: 鎌田浩毅
- 出版社/メーカー: メディアファクトリー
- 発売日: 2012/03/02
- メディア: 単行本
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考えてみれば3・11の前は、「地学」といえば、失礼ながら地味でぱっとしない学問の代名詞だった。東日本大震災は、日本人に対して地学の重要性を肌身で知らしめた災害であったと言えるかもしれない。
ところが本書の著者は、火山学や地球科学など、いわゆる「地学」分野を長年にわたって講義して、なんと数百人の学生を集めてきた名物教授なのだ。さすがにその語り口は絶妙的確、ユーモアも交えつつ地震や火山の「恐ろしさ」と「効能」を伝えるさまは、さすが「科学の伝道師」と呼ばれるだけはある。
本書は特に、各章のリードに室井滋さんとの対談を入れ、そこから本論に持っていくという仕掛けを取り入れているので、たいへんに読みやすい。3・11で少しは身近になったとはいえ、まだまだ難しい部分も多い地学の世界にスーッと入っていける。
だが考えてみれば、そもそも地学が日本人の多く(私だけだったらよいのだが)にあまりなじみがなかったということ自体、ずいぶんおかしなことだったのかもしれない。なにしろ日本は4枚のプレートがぶつかりあう世界有数の「地震の巣」であり、しかも狭い国土に110もの火山を抱える「火山密集地帯」である。本書のタイトルにもある「地震と火山の日本」とは、まさに文字通りの意味なのだ。
しかもそこに起きたのが、東日本大震災だ(ちなみに私はこの名称より、当初の「東北地方太平洋沖地震」のほうが適切だと今でも思っている。なにしろ「東北地方」が抜けたのはいただけない)。著者は、この地震について「寝ている子を起こしてしまったようなもの」(p.32)と評する。東日本大震災は、地震の「終わり」どころではなく「動く大地の時代」(p.10)の始まりを告げるものであったのだ。むしろ日本は、これから地震の活動期に入ったとみるべきなのである。
だから、今いろんなところで「首都直下型地震」や、東海・東南海・南海の「三連動地震」が取り上げられているのも、ゆえないことではないのである。ちなみに「三連動地震」について、著者は「2040年までに必ず来る」と断言する。さらに地震をきっかけに、火山噴火のリスクも高まった。日本を出るならともかく、この国土にはすでに逃げ場など存在しないのだ。
怖い。怖すぎる。でもなぜ、こんな恐ろしい場所に、私も含めたくさんの人間が好きこのんで住んでいるのろうか。著者はあっさりその問いに答えてくれている。「人間は、地震の来るところを好んで住んでいる」(p.70)と。
例えば地震によって山が隆起する。急に高くなった山では、雨のたびに土砂が流されて盆地に堆積する。そこには大きな地下水の水がめができる。堆積した土砂は風化して肥沃な土壌となる。こうして作られた「肥えた大地」と「豊富な水」に惹かれて集まってくるのが人間なのだ。
こう見てくると、直下型地震のリスクはせいぜい数千年に1回。地震が頻発する場所でも数百年に一度である。起きた時は確かに大変だが、その時の大揺れ(や火災や津波)さえなんとかしのげれば、むしろ我々は地震によって作られた豊かな土地に暮らすことができるというワケなのだ。
こういうロングスパンの見方を、著者は「長尺の目」と呼ぶ。これは火山も同様であって、火山は美しい風景をつくり(だから火山のまわりは国立公園が多い)、ミネラルウォーターを生みだし、なんといっても温泉を湧き立たせる。日本の美しい風景と豊かな土地は、ほとんど地震と火山の「おかげ」であると言ってもよいくらいなのだ。
そういえば、この間読んだ『こころの処方箋』で、河合隼雄は「ふたつよいことさてないものよ」という名言を残していた。地震や火山の「恩恵と恐怖」のバランスを考えると、まさにこの言葉にぴったりではないだろうか。
ちなみに本書は、こうした日本の状況をはじめとして、世界的な気候変動や災害発生にも触れつつ、「どう生きるべきか」というところまで議論の射程を広げている。特に科学に対する考え方は参考になる(ここではくわしく解説しないが、引用されている中谷宇吉郎の『科学の方法』もすばらしい)。
もっともこうした考察の結論を、ライフスタイルを「1980年代頃に戻す」というところに落ち着けた(落ち着かせた?)のは、いささか安易。そもそも、江戸時代にせよ縄文時代にせよ、はたして人間はそう簡単に、生活を過去に「戻せる」ものなのだろうか?
むしろ、過去に戻りたいと願いつつも、前にしか進めないのが人間の「業」なのではないかと、私は感じている。そこを観念して受け入れるところからしか、人類の将来は見えてこないのではないかと思うのだ。異論はあるかもしれないが、私にとって本書で唯一残念な部分は、その結論だった。