【2296冊目】伊藤計劃『ハーモニー』
「大災禍」と呼ばれる災厄の後の近未来世界が舞台というのは、いわゆる「核戦争後の世界」パターンだが、そこで登場したのが徹底した「福祉厚生社会」であるという設定がなんとも痛烈だ。なにしろそこでは、人は体内に埋め込まれた「WatchMe」という監視システムによって常に健康状態が監視され、検知された異常はいかなるものであってもただちに修復される。結果として、この世界に生きる人は病気になることもなく、風邪や発熱さえ経験することがない。わずかな精神的ショックにさえ、膨大な数のセラピストが常駐し、万全のメンタルケアが行われる。
そんな究極の健康社会において、6,582人が一斉に自殺を図るというショッキングな事件が起こる(病死がなくなった世界において「自殺」という手段は失われていないというのは、なんとも皮肉である)。その中の一人が、主人公トァンの友人キアン。キアンはトァンの目の前で、テーブルナイフを自分に突き立てて死んだのだ。そして、トァンとキアンには、女子高生時代の共通の仲間であって、この健康監視社会を嫌悪するミァンがいた……。
とんでもない小説である。近未来という状況を巧みに生かしつつ、現代社会の健康志向をグロテスクなまでに推し進め、その究極形態を破綻なく描き出した想像力と構築力。頻繁に挿入される謎のタグの意味を含め、ラストで明かされる事実の衝撃。単にストーリー上のどんでん返しというだけでなく、本質的な意味においてとんでもないひっくり返し方をしている。
本書に描かれた世界は、ユートピアか、はたまたディストピアなのか。いや、そうした二分法は正しくない。むしろユートピアとは、同時にディストピアであると考えるべきなのだろう。著者は、健康管理の徹底というギミックで、そのことを見事にあぶりだしたのかもしれない。いや、実はさらにここから先があるのだが、そのことを明かすとラストのネタバレをすることになってしまうので、未読の方のために今は伏せておく。願わくばわれわれの社会や国家が、のっぺりした明るさの医療ユートピアになることなく、「欠点」と「不備」と「あいまいさ」と「不健全」を内包したままでありますように。