【2291冊目】ジャンナ・レヴィン『重力波は歌う』

重力波は歌う――アインシュタイン最後の宿題に挑んだ科学者たち (ハヤカワ文庫 NF)
- 作者: ジャンナ・レヴィン,田沢恭子,松井信彦
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2017/09/21
- メディア: 文庫
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本書の刊行は2016年(文庫版は2017年9月)。本書の「テーマ」である重力波の観測によって、ライナー・ワイス、キップ・ソーン、バリー・バリッシュの3人がノーベル物理学賞を受賞したのが2017年12月。あまりにタイミングが良すぎるが、それも当然か。重力波こそ、かのアインシュタインがその存在を予言しながらも観測されることのなかった「最後の宿題」なのだから。
ブラックホールは、光さえ呑み込む真っ黒の穴。したがって、その存在を目で見ることはできない。だが、もし2つのブラックホールが宇宙空間で衝突したら? そこで生じるとされているのが、重力波という「音」。ブラックホールは、見えることはなくても「聞こえる」可能性はあるのである。
ブラックホールの衝突で生まれるエネルギーは「太陽10億個分の1兆倍以上」というとてつもないものだ。だが、10数億光年離れた地球に到達する頃には、それが「地球3個分ほどの幅が原子核1個分伸縮する」あるいは「地球1000億周分の距離を髪の毛1本分未満だけ縮める」程度のわずかなものになるという。本書は、そんな信じられないほど小さな変化を捉えようとした科学者たちの執念の日々を追ったドラマである。
立役者は、ノーベル賞を受賞した3人だけではない。重力波観測の先駆者でありながら施設を自腹で運営せざるを得なかったジョセフ・ウェーバー。すぐれた科学者だが際立った変人で、最後はプロジェクトから去ることになったロン・ドレーヴァー。ドレーヴァーを「追い出し」たが、自らも結局残ることはできなかった横暴なロビー・ウォード。LIGOという、想像を絶する規模の大きさと費用の施設を作り上げるためのプロセスは、決して生易しいものではなかった。とはいえ、それでもプロジェクトは巨額の予算を確保し、LIGOを生み出し、ついには重力波が歌うかすかなブルースを聴くことに成功したのだ(本書の原題はBlack Hole Blues)。
しかし、著者はなぜこんなドラマ仕立てのノンフィクションを書いたのか。重力波が何か、LIGOとはどういう施設かを知るだけなら、それなりの本もウェブサイトもある。だが、科学の進歩はたくさんの科学者たちの、挑戦と、懊悩と、戦いと、諦めと、そして歓喜がなければ成り立たない。科学とは科学者という人間による営みの積み重ねなのだ。自らも科学者である著者は、こんなふうに書く。
「科学者は、ボルダリング競技で言えば、手掛かり・足掛かりとしていいところにねじ込まれている取っ手やノブ、丸石のようなものだ。科学はこの壁に似て、知識を混ぜ込んでコンクリートで固めたようなものであり、まるっきりの人工物だが、現実に即していて、私たちの頭のフィルターを通してのみアクセスできる。自然科学や数学では客観性の追求が重要だが、この壁は各人を通じてしか登ることはできず、各人には―フランスの男にも、ドイツの男にも、アメリカの女にも―個性がある。ということで、この壁登りは個人的な営み、なんとも人間くさい企てであり、実際の探究活動をどんどん拡大して見えてくるのは個人であって、プラトンが説く原型(イデア)ではない。結局のところ、客観的であれという私たちの理想がいかに高くとも、それに負けないほど個人的な営みなのである」(p.269)
まあ、あまりうまい言い方ではないが、言いたいことは伝わるだろう。むしろ某缶コーヒーのCMになぞらえてもっと簡単に言えば、こういうことなのだ。
「科学は誰かの仕事でできている」