【1210冊目】グレッグ・イーガン『祈りの海』
- 作者: グレッグイーガン,Greg Egan,山岸真
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2000/12
- メディア: 文庫
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実はSFというジャンルにはちょっと苦手意識があるのだが、それでいて何となく気にもなっている。特にこのグレッグ・イーガンは、SF好きの方々がこぞって大絶賛されているようなので、すっごく気になっていた。
ということで、ちょっと気負って手に取ってみたのが本書。短編集である。収録作品は「貸金庫」「キューティ」「ぼくになることを」「繭」「百光年ダイアリー」「誘拐」「放浪者の軌道」「ミトコンドリア・イブ」「無限の暗殺者」「イェユーカ」「祈りの海」。
どの短篇も、かなり独特の世界観というか世界設定があり、それがそのまま作品のテーマに直結している。いわば設定そのもの、発想そのものが作品なので、そこに入れるかどうかが決定的。中にはイマイチよく捉えきれないものもあったが、いったん入り込めたものについては、その奥に広がるとてつもなく面白い世界を楽しめる。
量子力学、多元宇宙、分子生物学、時間論、人間の「アイデンティティ」の所在など、サイエンス系の本を少し前に何冊か読んでいたのも、良かったのかもしれない。ホーキングやファインマン、ガモフなどが、作品世界への扉をあける「カギ」になってくれた。
しかし、サイエンスの「リアル」がSFの世界を理解するのに役立つということは、現代科学の最先端、特に宇宙論や理論物理の世界自体が、ふつうの人間の感じる感覚的な現実をすでに大きく追い抜いてしまっている、とも考えられる。となると、今やSFこそが、科学的な意味においては「リアル」な小説なのかもしれない。もちろん、それをそのまま小説にするだけなら、お子様向けの科学読み物にしかならない。イーガンのすごさは、そこから想像力のエンジンをフル回転させて、さらに「その先」の世界さえも描き出してしまっているところだ。
さて、瀬名秀明氏が解説で指摘しているとおり、本書全体に通じるテーマは「アイデンティティ」。私が私であるとはどういうことなのか。本書はそのことを、あえてギリギリの設定を作りだすことで、切実なテーマとして読者にぶつけてくる。
例えば、本書の中で私が一番ぎょっとした「ぼくになることを」では、死んだ時に備えて自分のバックアップを取るための「宝石」を頭の中にもっている人々の世界が描かれる。それはすなわち、ある時点での自分の「コピー」が保存され、オリジナルが失われても(つまり、死んでも)コピーが「私」として生き続けることを意味する。では、その場合における「私」とは何か? オリジナルが私なのか? だったら、その後に生き続けるコピーにとって「私」とは何なのか……?
他に印象に残った短篇は、男性でも妊娠して出産できる購入可能な人工生命を描いたブラックユーモア風の「キューティ」、ミトコンドリアのDNAには母方から受け継いだDNAしか保存されないという事実を元に、最初の女性「イブ」からの「人類の家系図」作成を構想する「ミトコンドリア・イブ」、現代のアフリカ問題をSF的設定の中に再現した「イェユーカ」、そして科学と宗教の境目を描いた文学的な「祈りの海」など。いずれも、普通の小説に比べてかなり脳に負荷のかかるものばかりだが、その分、見たこともない世界が広がるものばかり。それにしても、けっきょく「私」って、なんなんでしょうねえ。