【2065冊目】吉村昭『天に遊ぶ』
原稿用紙10枚という「超短編」21編が収められた一冊。
起承転結、とはよく言われるが、本書の中にはこれが全部詰まったものもあれば、「起承転」や「起承」だけのような作品もある。必ずしも小説として完結させず、宙に放るようにして終わっているものも少なくない。
だが、どの作品にも共通して、ある種の「手触り」が感じられる。生活の手触り、あるいは人生の手触りというような。匂い、音、さらには気配のようなものさえ、短い文章の中にたゆたっている。人生の断面図のような小説だが、それでも広がりがあって、奥行きがあるのである。その意味で、例えば星新一のショートショートとは、長さは似ていてもまったく異なる。
例えば「西瓜」という短編では、別れた妻から呼び出されて喫茶室で会うまでの微妙に高揚した気持ちや、訥々とした二人の会話のリアリティが絶妙で、そこから別れた妻への執着や、妻の方も自分を悪く思っていないであろうことがじわじわと伝わってくる。そしてラスト、「君枝は、このまま自然に自分のマンションについてくるにちがいない」という内心のつぶやきを最後に、小説はぷつりと終わる。
その確信が事実であるか、あるいは単なる慢心であるのかは、読者の想像に任されている。だが、それがいいのである。そこまでで描き出されている「かれ」の気持ちの揺らぎとざわめきの描写があれば十分なのだ。
「カフェー」という掌編もシャレている。これは著者自身のエッセイめいた作品なのだが、浅草でたまたま見た敷島という銘柄の煙草を吸ったところ、その香りから、急に少年時代の記憶がよみがえるのである。戦時中の、近所の大人たちの記憶が静かに語られるだけの作品なのだが、読むうちに敷島という煙草を味わってみたくなるような、煙草のけむりに淡い日々の記憶が封じ込められているような作品なのだ。
多彩で多芸。外れなしの21編。吉村昭という作家の底力が感じられる一冊である。