【2640冊目】吉村昭『冷い夏、熱い夏』
今やインフォームド・コンセントの時代、癌の告知なんて当たり前ですが、本書が書かれた1980年代は、そうではなかったんですね。癌の診断は身内にだけ伝え、本人には隠し通すのが普通。本書の著者、吉村昭も、そのように考え、行動します。
本書は、著者の弟が癌になり、そのことを著者や周囲の人間が隠し通しつつ、弟の臨終の床に立ち会うまでを綴ったノンフィクションです。弟が苦痛にもだえ、どんどん衰弱するのを見守るだけでも大変なのに、そんな弟に対して、病名も余命もいっさい伝えられないというのは、なんという重い負担であることか。自分は癌なのではないかと疑い、詰問する弟に明るい声で嘘をつき、病室では笑顔を見せ、帰りの車の中で号泣するような、そんな日々の繰り返しなのですから。
他の作品では冷静で客観的な筆致を貫く著者も、本書では時に哀しみや戸惑いをあらわにします。自分の部屋で声を出して泣き、奥さんが驚いて声をかけるシーンは忘れられません。
そてにしても、結局、本当に弟が亡くなるまで病名を隠し通すことができていたのか、あるいはどこかで気付かれていたのでしょうか。それは、誰にもわかりません。それでよかったのかどうかも、誰にもわからないでしょう。
ちなみに、本書では確信をもって弟に秘密を貫いた吉村昭ですが、後に自身も舌癌になり、それが転移して2006年に亡くなります。その際に、著者は身体につけられた生命維持のための管を自ら引き抜き、自らの意志で死を選ぶのです。当然、病名も知らされていたことでしょう。
本書が書かれてからずっと後のことなので、弟のことと著者の「死にざま」との関係は分かりません。なので、勝手な推測にはなりますが、著者はおそらくその後の日々のどこかで、考え方を変えたのではないでしょうか。周囲にいわば騙されたまま、何も知らずこの世を去った弟に対して、あれで本当によかったのだろうか、と思ったのではないでしょうか。だからこそ、自らの死の場面では、すべてを知り、受け入れた上で、自分の手で管を引き抜いたのではないかと思うのです。
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