自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1911冊目】カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』

 

忘れられた巨人

忘れられた巨人

 

 

読み終わった時の感想をひとことで言えば「書かれていない部分がとても大きな小説」であった。神話を連想させるような、きわめてシンボリックでメタフォリカルな物語。

アーサー王の死後のイギリスを舞台にしたファンタジー仕立て。だが、その世界は靄がかかったようにはっきりしない。人の記憶を薄れさせる奇妙な霧。その霧を吐く雌竜クエリグ。サクソン人とブリトン人の確執。ブリトンアーサー王の配下の騎士と、ブリトン人を憎むサクソン人戦士。そして、その間にあって淡々と前に進むのは、アクセルとベアトリスの老夫婦。

書かれた部分だけを見れば、物語はそれほど複雑ではない。老夫婦が村を出て、息子のもとに向かおうとする。途中で戦士や少年に出会い、奇妙な修道院や巨大な雌竜と対面する。

だがその裏側には、常に「書かれていない世界」が脈打っている。それは、霧によって忘れ去られた世界である。おおもととなっている雌竜クエリグを倒せば、霧は吹き払われ、すべての記憶がよみがえるだろう。だが、それは果して本当に望ましいこと、本当に皆が望んでいることなのだろうか?

アクセルとベアトリスの間柄も、仲睦まじくみえて奇妙な不穏さを帯びている。それもまた、霧によってお互いに忘却の彼方にある。過去を思い出し、歴史を取り戻した時、その関係は果してどうなるのだろうか。アクセルはベアトリスに、意を決してこう話す。

「クエリグが死んで霧が晴れ、記憶が戻ってきたとする。戻ってくる記憶には、おまえをがっかりさせるものもあるかもしれない。わたしの悪行を思い出して、わたしを見る目が変わるかもしれない。それでも、これを約束してほしい。いまこの瞬間におまえの心にあるわたしへの思いを忘れないでほしい。だってな、せっかく記憶が戻ってきても、いまある記憶がそのために押しのけられるんじゃ、霧から記憶を取り戻す意味がないと思う。だから、約束してくれるかい、お姫様。この瞬間、おまえの心にあるわたしを、そのまま心にとどめておいてくれるかい? 霧が晴れたとき、そこに何が見えようと、だ」

著者がこの物語を書いた背景には、ボスニア・ヘルツェゴビナ911などがあったという。特にボスニアコソボで起こった、近しく暮らしていたはずの民族間での殺し合いから、著者は国家や社会の「記憶」というものが時としてはらむ暴力性について考えるようになったらしい(カズオ・イシグロへのインタビューより)。古代イギリスを舞台としたファンタジーの裏側には、やはり現代に通じる寓意が隠されていたのだ。

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このインタビューでは、日本が「忘れることをエンカレッジされた」のではないか、という指摘もある。過去を忘れることを求められ、自らもそれに迎合することにより、日本は経済大国として「復活」することができたのだ、というのである。逆に、日本が戦争責任や戦争犯罪について自ら徹底的に追及しようとしたならば、国家がバラバラになってしまったのではないか、と。

つまり日本こそは、雌竜クエリグの忘却の霧を、戦後70年にわたり吸い続けていた国家だったのだ。だからこそ、著者は上のインタビューでこう語っている。

「今の日本には過去を振り返るだけの力がある。私は、自信と力をつけた今こそ日本は第2次大戦について日本と中国、アジア諸国との間で事実について異なる認識の問題に取り組むべきだと思います」

その意味で、本書が今このタイミングで書かれ、邦訳された意義は大きい。日本はそろそろ、われわれにとっての「忘れられた巨人」に向き合い、乗り越える必要があるのである。奇しくも今日は、安倍首相の戦後70年談話が発表された。果たして日本は、クエリグの霧を振り払うことができただろうか?

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