【970冊目】アンソニー・ギデンズ『日本の新たな「第三の道」』
- 作者: アンソニー・ギデンズ,渡辺聰子
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2009/11/28
- メディア: 単行本
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数年前、同じ著者の『第三の道』を読んだが(記事はコチラ)、本書はその「日本版」。欧米の政治状況をベースにした前著の内容を踏まえて、日本への適用可能性を探る。
まず、おさらい。第三の道とは、「市場主義」と「社会民主主義」の二者択一を越えて、両者を「止揚」し、グローバル化に適合しつつ福祉国家を実現する、というものだ。市場主義だけでは社会がボロボロになる、しかし福祉重視が行き過ぎると活力が失われ、行き詰る。そうした経験を実際にしてきたのが欧米諸国、特にイギリスだった。
産業革命で「資本主義社会」のトップランナーとなったイギリスでは、女性や子どもが劣悪な環境で長時間働かされ、ロンドンは煤煙と排水で汚れ、要するに資本主義の最悪の部分がモロに出る結果となった。その次にイギリスが選んだのが、今度は有名なベヴァリッジ報告に基づく「ゆりかごから墓場まで」の徹底した福祉国家。しかし、それは膨大なコストと肥大化した官僚制の非効率で「イギリス病」と揶揄されるまでになり、そんなイギリスを復活させた人こそかのサッチャーであった。彼女の徹底した市場主義的改革が小泉改革のモデルになったことは記憶に新しい。
まあこんな感じで、つまりイギリスという国は、市場主義と福祉国家の両極端を振り子のように振れながらここまで来ているのだ。ちなみにサッチャー路線の後に登場したトニー・ブレアが選んだのがまさにギデンズの『第三の道』路線だった。これは逆に言えば、こうした道を歩んできたイギリスだからこそ、第三の道を選択できたともいえる。
さて、ひるがえってわが日本はどうか。ギデンズが指摘するのは、先ほどのイギリスなどと比べると、日本は徹底した市場社会も、また徹底した福祉国家も、いまだ経験していない。戦後の日本が選んだのは官民一体の護送船団方式と株式持合いの馴れ合い経営、共同体的な要素の多い会社組織、その「カイシャ」が住宅から年金から健康保険まで丸抱えで面倒を見るという独自の福祉システムだった。しかし、グローバル化の荒波が避けられない中、このままで済まされるわけはない。その対応をまがりなりにも図ろうとしたのが、いわゆる小泉・竹中路線の構造改革だったわけだ。
ところがこの構造改革は市場主義的改革も不十分だったうえ、本来ならその前提となるはずの、国家による福祉システムを構築しないまま改革を推し進めてしまった。会社丸抱えの福祉システムを残したまま、会社による従業員の切り捨てを容認したともいえる。思えば、これが最悪の選択だった。虻蜂とらずの構造改革は、結局現在の日本社会の低迷と惨状につながっている。
ギデンズが提唱するのは、まずは市場主義改革と福祉改革を同時に進めるべきだ、ということ。かなりの荒療治であるが、イギリスのように両方を交互に経験する時間は、日本にはもう残されていない。その際、ヨーロッパにおける導入例を参考に、「第三の道」的な要素を織り込んでいくことが必要になってくる。野放しの市場主義と過保護な福祉国家、という失敗の轍を踏まないよう、注意しながら。失敗の見本は先進の国々にたくさん転がっているのだから、それを見ることができるのが後発国家の利点なのだ。
管総理は6月の所信表明演説で「第三の道」を選ぶとぶちあげた。だが、その意味するところはギデンズとはだいぶ違っている。また、本書でいう第三の道とは、第一の道と第二の道を否定するところに成り立つのではなく、両者を止揚したところに成り立つのだが、そのあたりの理解もややアヤシイ。
まあ、本書の内容自体も決して絶対ではない(ややアングロサクソン的な押し付けが鼻につくし、共同体やコミュニティをどうするつもりなのかも気になる)のだが、それでも今後の日本の進む道を考える上で、きわめて的確なヒントをちりばめた一冊には違いない。ねじれ国会でいろいろ大変かとは思うが、管総理にはぜひ、日本がこれからたどるべき、本来の意味での「第三の道」を示してほしいと思う。