【1635冊目】山本兼一『命もいらず名もいらず』
- 作者: 山本兼一
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2013/05/17
- メディア: 文庫
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山岡鉄舟の生涯を描いた長編小説。タイトルの「命もいらず名もいらず」は、西郷隆盛が鉄舟を評した言葉だそうだが、さすがは西郷、鉄舟そのものを見事に表現したフレーズだと、本書を読み終えて感じ入った。
この著者の小説は、前々から気になってはいたものの、読むのは初めて。読んでみて、とにかく小説としての水準の高さにびっくりした。鉄舟の歴史上のエピソードをうまく織り込みつつ、求道者としての鉄舟を見事に描き切っている。
「幕末三舟」として並べられる高橋泥舟や勝海舟、官軍側の西郷隆盛、さらには清河八郎やら清水次郎長など幕末から明治にかけての個性的な登場人物が、本書にはたくさん登場し、魅力的に描かれている。だが、それでも山岡鉄舟という人物の存在感が圧倒的で、最初から最後までどっしり物語の中心に坐っている。圧巻だ。
山岡鉄舟といえば剣聖と呼ばれるほどの剣の達人であり、禅では悟りに達し、書も生涯100万枚を書いたと言われているらしいが、しかし本書を読む限り、この人物の本領はそうした「能力」、「スペック」にはない。むしろ思ったのは、鉄舟とは「器」である、ということだ。それも、途方もなく大きく、深い器。剣も禅も書もすっぽりと呑み込んでしまうほどの、その途方もない器量にこそ、多くの人々が惚れ込んだのだ。
鉄舟は理屈を嫌った。むしろ感じて、行動することに徹した。そのありようを、著者は清河八郎と比較する中で、こう書いている。
「鉄太郎(鉄舟)は、頭の先から足の爪の先まで、理とは違う次元で生きている。清河の本質が理ならば、鉄太郎の本質は、生命の息吹を感じる力にあるだろう。
いのちが、そこにあって息をしている。それを、大きな両の手のひらで、そっとやさしく包むのが、鉄太郎の生きる姿勢である。その命を助けることに、どういう理があるのかなどとは考えない。考えるよりも、先に体が動いている」
こういう人物を描くのは、相当難しいことだったろうと思う。ほんのわずかでも著者自身の俗物ぶり、浅薄な理解ぶりが透けてしまうと、全部が台無しになってしまうからだ。しかし本書では、上下二冊の長編にもかかわらず、ほとんどそういう場面がなかった(おや、と思う程度の表現はいくつかあったが)。これは相当な力量である。
鉄舟という人物が面白いのは、歴史の表舞台での活躍と、徹底した修練と自己練磨が、高いレベルで共存しているところだと思う。そもそもこの人、「公私の別」とか「表と裏」のようなものが、ほとんど感じられないのだ。おそらく鉄舟自身にとって、要請に応じてさまざまの官職や任務に取り組むことと、剣・禅・書の深淵に至ろうと自らを磨くことは、「同じコト」であったように思われる。
鉄舟の原点には、「おまえ自身のためになることをしろ。それが、天下の役に立つ」という父の言葉があったという。鉄舟の生涯とは、まさにこの言葉通りを生き抜くことにあったのだろう。
それにしても、いやはや、まったく、気持ち良いほどの破格ぶりである。それを鮮やかに、活き活きと描き切った著者の力量に、まずは感服した。