【1628冊目】半藤一利『それからの海舟』
- 作者: 半藤一利
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/06/10
- メディア: 文庫
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タイトルの「それから」とは、江戸城無血開城以降。海舟の人生の大きなクライマックスの後、明治の世を海舟はどう生きたのか、を綴った一冊だ。ちなみに第1章で、それまでの海舟の前半生がダイジェストされている。
海舟の人生は「それから」が長かった。幕末の動乱の中心人物として活躍した人物の中では、異例といってよいほどの長生きで、日清戦争後の1899年まで生きた。江戸城無血開城が1868年だから、海舟の後半生はまるまる明治の世であったことになる。
海舟はそもそも幕臣で、しかも戦わずして江戸城を明け渡した張本人だ。となると普通なら、明治の世は幕府側からも薩長側からも針のムシロになりそうなものだが、それがそうならないのが海舟の不思議なところだ。世を捨てていたわけではない。明治政府の高官を歴任、伯爵にもなっていた。
まあ、そのあたりは変節漢として後世からはいろいろ悪口を言われるところなのだが、本書を読む限り、少なくとも海舟が自らポストを漁った形跡はない。むしろ彼自身は、さっさと隠居して旧幕臣の面倒でもみながら悠々余生を送りたかったのではなかろうか。それをあの手この手で引っ張り出し、新政府のご意見番にしたがったのは、むしろ政府の側であった。
もっとも、このあたりの印象は、著者の「海舟びいき」の風に少々強く当てられたことが影響しているかもしれない。なにしろ本書における半藤一利は、他の著書の冷静で客観的な筆致はどこへやら、なりふりかまわぬほどに海舟応援団に徹している。それが最初っからあからさまなので、そのへんはかえって読んでいて分かりやすい。著者もある意味開き直っており、いろんな史実の解釈が思いっきり海舟寄りになっていたり、海舟に分の悪いところはいろいろフォローを入れたりしている。
だいたい著者は東京下町の向島で生まれ、幕府側で戦ったかの河井継之助の長岡藩の流れをひく越後長岡で中学校を出たというバリバリの江戸派、反薩長派なのである。そのことは本書の冒頭で著者自身が書いている。だから著者は絶対に「官軍」と書かず「西軍」と書き、薩摩・長州は江戸文化の粋も分からぬ田舎の田吾作と断じる。
「いささか東軍贔屓の、乱暴かつ張り扇的な講釈をすれば、薩長土肥の連合軍なんてものは、不平不満の貧乏公卿を巧みに利用して年若い天皇を抱き込み、尊皇を看板に、三百年来の私怨と政権奪取の野望によって討幕を果たした輩にすぎないのである。わが越後長岡藩も、会津若松藩と、かれらの言っている正義てんから認められないから、壮烈な抵抗をしたまでなのである」(p.154)
とはいえその薩長の中でも、西郷隆盛に対しては著者の評価は高い。海舟自身、西郷に対しては同じ豪傑同士、お互いにしか理解できないものを感じていたらしいので、そのあたりが著者にも影響しているのだろうか。
もっとも、常に大局を見据え、自分の立場や利得でいささかも判断を揺るがさなかったところに、海舟の凄さはあるのであって、そのあたりは、やはり「無私」を貫き大局観に立った西郷と一脈通じるところなのかもしれない(もっとも西郷の「無私」はより広大で、大局観さえも呑みこんでしまうほどだった)。
いずれにせよ海舟の傑物ぶり、その識見の確かさぶりがじっくり味わえる一冊。薩長派が読むとちょっと腹立たしいかもしれないが、私はどちらかというと江戸っ子派なので、大いに留飲を下げさせてもらった。