自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1422冊目】アンドレ・ジッド『狭き門』

読んだことがあるような気もしていたが、やっぱり初読だったかもしれない。ジッドは確か、高校生の頃にいきなり『贋金つかい』を読んで挫折。その後はずっと、敬して遠ざけてきた作家なのだ。

もっとも『贋金つかい』をジッドは「小説(ロマン)」として書いたのに対して、本書や『背徳者』などは「物語(レシ)」と呼んで区別していたという。そのためかどうか、本書は複雑多重な『贋金つかい』に比べるときわめてシンプルで読みやすい。この本こそ、高校生の私に読ませたい一冊だった。

ジェロームと従姉のアリサは相思相愛である。しかし、ストレートに愛を告白しプロポーズするジェロームに対して、アリサは好意を示すものの、求婚は受け付けない。それどころか、どうしたわけか、アリサは自ら命を絶ってしまう。

この物語は、前半、アリサの態度に苦悩するジェロームの視点で描かれる。ところがなんと、アリサの死後にジェロームのもとに送られてきた日記によって、後半、一気にアリサの視点から綴り直されるのだ。

物語の焦点はただひとつ。なぜアリサは、自ら命を絶ったのか? キーワードはタイトルの「狭き門」。本書の冒頭近く、チャペルのシーンでヴォーティエ牧師が読み上げる聖書の一節だ。

「力を尽して狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者おおし。生命にいたる門は狭く、その路は細く、之を見いだす者すくなし」(p.24)

本書を読む前は、アリサは現世での幸福という「広き門」を捨て、死によって信仰の道、神への道である「狭き門」を貫いたという、そういう話なのかと思っていた。しかしアリサの手紙を読む限り、どうやらそうではなさそうなのだ。

むしろアリサは、ジェロームにこそ「狭き門」を通ってほしく、そのために自らは身を引いたのだ。アリサは「神の道」という来世の栄光を選んだのではなく、愛するジェロームのためにそれすらも捨てたのである。自己犠牲による報いすらも期待しない自己犠牲。次の日記を読まれるがよい。

「ああ、今わたしには、このことがわかりすぎるほどわかっている。神とあの人のあいだには、わたしだけが障害になっているのだ。もしあの人がわたしに言ったように、最初あの人のわたしにたいする愛が、あの人を神のほうへ導いたのだとすれば、今あの人の妨げになっているのも、またその愛の気持なのだ。あの人はわたしにこだわり、神よりもわたしを愛し、しかもわたしは、あの人にとって一つの偶像になってしまい、あの人が美徳へ向ってもっと深く歩み入ろうとするのを引きとめている。わたしたち二人のうち、どちらかがそこへ到達しなければならないのだ。そして、主よ、わたくしの怯懦な心は、とても愛に打ち克つことができないのでございます。どうかわたくしに、あの人にもうわたくしを愛さなくなるよう説きさとす力をおあたえください。そういたしましたら、このわたくしの功徳のかわりに、さらに立ちまさるあの人の功徳を主の御前に捧げることができましょう……」(p.195)

ここにあるのは、いったい愛と信仰の究極の融合なのか、それともとんでもなくねじれてしまった虚無なのか。アリサの死が投げかけたものは、とてつもなく大きい。そして残されたジェロームは、この「アリサの死」をどう受け止め、この後の人生を歩んでいかなければならないのか……。

この小説は、単純な恋愛小説でも、能天気な「キリスト教バンザイ」でもない。もっと恐ろしいテーマを裡にはらんだ、一癖も二癖もある物語だ。やはりジッド、一筋縄ではいかない作家であった。

背徳者 (新潮文庫)