自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1366冊目】シドニー・ガブリエル・コレット『青い麦』

青い麦 (光文社古典新訳文庫)

青い麦 (光文社古典新訳文庫)

このトシになってこういう小説を読むと、まぶしすぎてクラクラしてくる。

16歳と15歳。幼なじみのフィリップとヴァンカは、そろそろお互いを異性として意識しはじめる。せつない戸惑いと無邪気なじゃれあい。しかしそこに年上の人妻マダム・ダルレイが現れ、フィリップを誘惑して「恋の手ほどき」をするあたりから、だんだん物語はあやしい方向に進んでいく。

残念ながら「幼なじみの恋人」もいなかったし、そんなありがたい手ほどきをしてくれるようなオトナの女性も身近にいなかった私としては、フィリップの境遇はなんともうらやましい限り。ある意味、オトコとしての理想や妄想の「原点」が、この小説には濃縮されているわけなのだが、それを書いたのがフランスきっての女流作家、コレットであったというのがものすごい。

コレット自身の人生もまた、なかなか波乱万丈で壮絶だ。生涯に3回結婚し(3回目はなんと52歳の時で、夫は16歳年下だった)、30代ではミュージック・ホールのパントマイムで生計を立て、48歳の時には夫の連れ子と恋愛。一方、アンドレ・ジッドに絶賛され、コクトーと親交をもち、女性で初めてアカデミー・ゴンクールの会員となり、死後は国葬となりかかったがカトリック教会の反対で国民葬になった。しかも、ゲシュタポに夫が逮捕されると奔走して、釈放を勝ち取ったのが68歳の時というから恐れ入る。

つまり本書は、世間知らずのオタク作家などとは対極の、まさに世の中の酸いも甘いもかみわけた女性が描いた青春劇なのだ。そう考えると、美しい情景の描写も、五感に訴えてくる鮮烈なリアリティも、すべてがコレットの手練手管に思えてくる。しかしこれほど心地よく、切なく、美しい手練手管なら、よろこんで身を委ねたい。

なお本書には鹿島茂氏の「解説」がついていて、これがたいへんおもしろい。なにしろ、本書で描かれている若者同士の恋愛というテーマは、当時(本書が書かれたのは1923年)としてはきわめて画期的であり、むしろその頃は若者は年上の女性にセックスの手ほどきを受け、それを結婚してから年下の妻に伝えていくというパターンがふつうだったというのである。

つまりフィリップとヴァンカの恋愛こそが「レアケース」であり、人妻マダム・ダルレイとの不倫こそが、当時のフランス恋愛文化においては「王道」であったらしいのだ。同世代の恋愛が当たり前になっている今の時代では考えられないほどのインパクトが、本書刊行当時のフランスにはあったのだろう。言い換えればこの小説は、いまどきの恋愛モノのドラマや小説の「原点」であり「元ネタ」となった一冊なのである。