【1250冊目】ニック・レーン『生命の跳躍』
- 作者: ニック・レーン,斉藤隆央
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2010/12/22
- メディア: 単行本
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生命の誕生。DNA。光合成。複雑な細胞。有性生殖。運動。視覚。温血性。意識。死。
生命という巨大な謎に迫るため、著者が選んだ10の「発明」がこれ。といっても、単に個々のテーマを深彫りするだけでなく、この10個が有機的につながり、生命そのものの本質を解き明かすに至っている。読み終わって改めてこの10個を見ると、それがいかに的確に選び抜かれたものであるかが分かる。
本書には、教科書に載るようないわゆる「定説」にとどまらず、最新の研究の成果までがたっぷり盛り込まれている……ということは、ここに書かれていることが「事実」であるかどうか、実は未確定な部分が多いのだ。実際、本書の醍醐味は、既知の部分をお勉強として「知る」よりも、「既知」と「未知」の境界線ギリギリに迫っていくその迫力にあるように思う。
そして、そこで紹介される最新「仮説」の、なんとエキサイティングでスリリングなことか。今まで当たり前だと思っていたセックスや運動、意識などが、実はなんとミステリアスで不可解な存在であったことか。「事実を知る」ことは教科書に任せておけばよい。本書は「未知を知る」ことのできる稀有な一冊である。
さらに、本書は「問い」がうまい。Q&Aの「A」が充実しているのもさることながら、それを引き出す「Q」の設定が実に巧みなのだ。なぜ生物は巨大化し、複雑化したのか? なぜクローンではなく有性生殖なのか? なぜ冷血より温血なのか? といった「大きな」Qから、どんどんその奥深くまで問いを深め、広げていく。読み手の半歩先を行くようなそのリズムも絶妙で、読むほうはそのたたみかけるような「Q」に乗せられて、ついつい先を読みたくなる。このへんは単なる学者とは違う「サイエンスライター」の本領発揮というところか。
最新の生物学の成果までを扱っているため、内容は決してやさしくはない。正直言うと、ところどころ細かい説明についていけず、脱落したところもあった(欲を言えば、文章だけでなくイラストや図表を使った説明がもっとあればよかった)。しかし、それでも生命に関する自分の常識や思い込みが次々に打ち砕かれ、想像を超える仮説が示されるという体験には、なんともいえない快感がある。
特に驚いたのは、われわれの生命が進化の過程で、他の生命を「取り込んで」きたということだった。例えば、植物の光合成細胞にあって光合成を引き起こす葉緑体は、なんとかつてはシアノバクテリアという自由生活性の細菌だったという。それがある時宿主となる別の細胞に呑み込まれ、そこに棲みつくようになった。そのことが植物の光合成を可能にし、ひいては地球上に大量の酸素を送り出すことになり、それが人間を含む巨大な生物を生みだしたのである。光合成がなければ、すべての生命体は、せいぜい細菌くらいの大きさにしかなれなかったのだ。
同じような例は、真核細胞とミトコンドリアの関係にもみられる。ミトコンドリアと真核細胞はもともと別々の原核生物であった。それがある時どういうわけか結びつき、ミトコンドリアの先祖がもう一方の生物の中に入り込んだことで、真核細胞への変化が起きたというのだ。しかもなんと、この融合はかつて一度しか起きず、したがってすべての真核生物は、この融合生命体の子孫にあたるというのである(まさに「ミトコンドリア・イブ」だ)。そして、ミトコンドリアが真核細胞の中に組み込まれることで、われわれは本来は有害な酸素を体内に取り込んで、そこからエネルギーを生みだすことができるようになったのだ。
「真核細胞への進化が一度しか起きなかったのは、ふたつの原核細胞が結びついて一方が他方へ入り込むことがきわめてまれな出来事であり、真に運命的な出会いだったからだ。この世でわれわれが大事に思うすべてのもの、世界のあらゆる驚異は、偶然と必然の両方を内包したただ一度の出来事に端を発しているのである」(p.168)
そういえば以前、瀬名秀明の『パラサイト・イヴ』やグレッグ・イーガンの短篇がこうしたミトコンドリア像を下敷きにした小説を書いていたが、いずれにせよわれわれの身体に、細胞レベルで他の生物が入り込んだというのはなかなか面白い。アイデンティティとか自己同一性なんていうが、生物レベルで見れば、むしろ生命は他者を取り込みつつ進化してきたのだ。まあとにかくこんな具合のサプライズが次から次へと続くので、本書を読んでびっくりしたトピックを全部並べることは到底不可能だ。
それにしても、本書を通読して改めて驚かされるのは、生命というものが、いかに多くの偶然と奇跡の連続の上に成り立ってきたかというその荘厳な事実そのものである。そもそも宇宙においては、おそらく生命の存在自体がたいへんなレアケースなのである……ましてや、いわゆる「高等生物」の出現率など、本書を読む限りではほとんど無に等しい。
地球上の生物はすべて、そんな針の穴ほどの確率をくぐり抜けてきたラッキー・ボーイなのだ。ということでこの本、生命に驚き、そして謙虚になれる一冊でもある。オススメ。