【1858冊目】ヤーコプ・フォン・ユクスキュル『生命の劇場』
- 作者: ヤーコプ.フォン・ユクスキュル,入江重吉,寺井俊正
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/02/10
- メディア: 文庫
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イタヤガイは色も形も知覚できないが、天敵のヒトデのゆっくりとした動きには反応する。ヒキガエルは、ミミズと似た色と形状のマッチ棒を呑み込もうとする。ミミズは、餌となるシナノキの葉の先端を、形ではなく「味」で感知する。ある種のダニは目も見えず耳も聞こえないが、哺乳類の汗の匂い、毛皮の抵抗、皮膚の温かさは感じることができる。
かれらは同じ世界を生きている、と言えるだろうか。ユクスキュルは「その主体にとっての世界」を「環世界」と呼んだ。世界に対する知覚が異なるのではない。そもそも「世界」とは、どこかに客観的に存在するものなのではなく、その主体にとっての「意味のトーン」によって構成されている「環世界」のことなのである。
例えばイヌにとっての「意味のトーン」は、自分も坐ることができる椅子に対しては座席のトーン、下に潜り込めるテーブルには屋根のトーン、絨毯にはベッドのトーン、といった具合である。こうしたトーンの組み合わせによって構成されているのが、そのイヌにとっての環世界なのだ。
本書は一風変わったスタイルで綴られている。舞台は「宗教哲学の研究者」フォン・W氏の海辺の邸宅だ。そこに集った画家、動物学者、生物学者(ユクスキュル本人)が、大学理事フォン・K氏を訪問し、生物学についての意見を交わし合う。その意味で本書は、生命と生物をテーマとした複合的な「対話篇」なのである。
中でも興味深いのが、動物学者との論争だ。この動物学者はダーウィニズムの信奉者で、機械的生命観と「生存闘争」によって生物の歴史は成り立ってきたと考えている。それによると、生物の発展は「意味」ではなく、無作為的かつ全方位的な突然変異があって、その結果が「たまたま」受け入れられた場合に生じるものである、ということになる。
おそらく現在の生物学では、「意味」に基づいて、どこかの司令塔の指令に基づき進化が起こるとするユクスキュルより、どちらといえば分散的でメカニックな仕組みによって自然淘汰が行われるとするダーウィニズムのほうに分があるのではないかと思う。だがそれでも、ユクスキュルの世界観、生命観は、掛け値なしに魅力的だ。それは、魂の入った生物学である。世界と「主体」たるわれわれ生物全般の関わりを本質的なところまで掘り下げ、ゲーテやプラトン、老子まで持ち出しながら、世界と生命の本質に迫った一冊である。
そしてなんといっても、本書はわれわれ自身の「世界の見え方」を一変させる。周囲に「客観的に」存在すると思っていた世界は、実は、われわれ自身の認知や感覚が作り上げる「環世界」なのだ。世界はわれわれ自身が「今、ここで」作っているものなのである。