自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1190冊目】広井良典『創造的福祉社会』

創造的福祉社会: 「成長」後の社会構想と人間・地域・価値 (ちくま新書)

創造的福祉社会: 「成長」後の社会構想と人間・地域・価値 (ちくま新書)

「定常型社会」を提唱する著者の新刊。経済成長を前提とする今の社会システムから脱却するという主張は従来どおりだが、その思想が文明史的なレベルに深まり、広がっている。おおむね、本書の前半が社会やコミュニティのあり方についての議論、後半が文明的なスケールで見た定常型社会論。前半の内容も重要だが、以前の著作とかぶる部分も多いので、ここでは後半にウェイトを置いて紹介してみたい。

著者によれば、そもそも人類の文明史は、「拡大・成長」と「定常化」の反復によって成り立っている。最初の「拡大・成長」は狩猟・採集社会であり、人類誕生から、紀元前5万年頃までが該当する。人類の活動基盤が形成された時期である。そして、狩猟・採集社会の発展後、最初の「定常化社会」が到来する。

この時期の特徴として、著者は「心のビッグバン」と呼ばれる現象を挙げる。どうやらこの時期に、洞窟壁画や彫刻品、手の込んだ道具などが爆発的に出現しているらしいのだ。理由はよく分からないが、人間の能力・創造性の急激な進歩が、このとき起こったのだ。また、この進歩により、人間がシンボルを操作できるようになった、という仮説も面白い。シンボルの使用は、他者とのコミュニケーション量を飛躍的に増やし、ひいては原始的なコミュニティの形成にまで結びつく可能性が高いからだ。

さて、狩猟・採集社会に次ぐ第二の「拡大・成長」は、農耕社会の出現によってもたらされた。ここでは、農耕の始まりにより、比較的平等性が保たれていた狩猟・採集社会から、余剰生産物の収奪による階級社会と抑圧の発生へと社会が移行した点が重要だ。また、農耕という作業の性質上、高いレベルでの集団的な統制と管理が必要とされた。階級化と富の集中はやがて国家と王を生み、同時に生産物を交換する場として市場が、そして都市が発生した。

そんな農耕社会の成長が飽和状態になり、訪れたのが第二の「定常化」であった。それを著者は、ヤスパースのいう「枢軸の時代」に重ね合わせる。その時代、すなわち紀元前500年前後(紀元前800年〜200年くらい)に、世界中で同時多発的に、ある種の「思想」が生まれた。中国では孔子老子、インドではウパニシャッド哲学、イランではゾロアスター教ギリシャではホメロスソクラテスアルキメデス。現在の思想・哲学の原型をなす思想家たちが、なぜかこの時代にいっせいにあらわれたのである。

しかも、彼らの思想の多くは、普遍的な人間論や社会論、国家論に関するものであった。それは、農耕社会の発展にともなって国家や共同体、階級などによって社会が寸断されたことへのアンチテーゼだったのかもしれない。いずれにせよ第二の定常化は、思想と哲学が深化した時代であった。そしてその時代が、近世まで続くことになる。

第三の「拡大・成長」は、産業革命以降の「産業化・工業化社会」である。そして、これがつい最近まで続いた。現代はこの「第三の成長期」が終わったばかりで、次なる「定常化」の時代に入る移行期にあたるという。そして、その時代を支えるものとして、著者が提示するのが「地球倫理」という概念。そして、この倫理は環境問題や社会発展、食糧問題等を含むもので、この倫理のもとで個人・コミュニティ・自然が重層的に統一されるらしいのだ。

まあなんともスケールが大きいというか、気宇壮大な話であるが、しかし妙に説得力がある。確かに、産業革命以降の近代・現代史の流れは、根本的なところですでに行き詰っているような気がするし、そうであればこれくらいのタイムスケールで対応策を考えないと、到底間に合わないのかもしれない。まあ、こういう枠組みで著者は現代を第三の「定常期」と位置づけ、産業革命以来の根本的な意識転換を迫っているわけなのだ。

なお、「あとがき」によると著者は、岡山の商店街の、化粧品や文房具を売る小さな店に生まれたという。その光景と、現在のシャッター通りと化した商店街の様子が、著者の原風景であり、原点であるらしい。こうしたローカルなリアリティと、哲学や科学哲学について考えることが最近ようやくつながるようになり、「自分にとっての原点、あるいは土台にあるものに多少なりとも帰ってきている感じがしている」(p.276)のだそうだ。なるほど、なるほど。著者の思想の裏側にある「裏貼り」の具合が、少しは見えてきた気がする。今後の思想の展開が楽しみだ。