【768冊目】兼好法師『徒然草』
- 作者: 吉田兼好,西尾実,安良岡康作
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1985/01
- メディア: 文庫
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「あはれ」を軸に、「好み」を貫いた稀有の随筆集。理に落ちず、「好き嫌い」を徹底しつつ、そこに「無常」や「あはれ」「をかし」の感覚をちりばめた結果、日本人の感性のひとつの「原型」を結晶させた一冊である。
とまあ、「感想」はこれくらいでよいだろう。後は、読んでいて目の止まったフレーズを、いくつか抜き書きしてみたい。むしろそのほうが、この本の「匂い」のようなものが伝わるような気がするので。引用がかなり多くなってしまっているが、これでも本当はもっとあったのを削った結果である。
古文が苦手な方でもなんとなく意味は通じると思うが、実はこれ、今どきの自己啓発書とか人生訓の本に書かれている内容とかなり「かぶって」(あるいは、超えて)いる。現代人の生き方をアドバイスする本が、600年以上前に書かれたこの本と重なっていることが、本書の歴史を超えた一冊としての凄みであろう。言い換えれば、最近の「その手の」本のほとんどの「ネタ本」が、この一冊なのである。
ひとり、燈のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる(第13段)
人は、己をつづまやか(簡素)にし、奢りを退けて、財を持たず、世を貪らざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるは稀なり(第18段)
名利(名誉と利益)に使はれて、閑かなる暇なく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ/まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし(第38段)
人は、ただ、無常(死)の、身に迫りぬる事を心にひしとかけて、束の間も忘るまじきなり(第49段)
未だ、まことの道を知らずとも、縁を離れて身を閑かにし、事にあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ(第75段)
何事も入りたたぬさましたる(深く知っているふりをしない)ぞよき/よくわきまへたる道(よく知っていること)には、必ず口重く、問はぬ限りは言はぬこそ、いみじけれ(第79段)
物を必ず一具(ひとそろえ)に調へんとするは、つたなき者のすることなり。不具(不揃い)なるこそよけれ(第82段)
何ぞ、ただ今の一念において、直ちにする事の甚だ難き(第92段)
しやせまし、せずやあらまし(することにしようか、しないことにしようか)と思ふ事は、おほよう(大概)は、せぬはよきなり(第98段)
何事も、珍しき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ(第116段)
大方、生ける物を殺し、傷め、闘はしめて、遊び楽しまん人は、畜生残害の類なり(第128段)
物に争はず、己を枉げて人に従ひ、我が身を後にして、人を先にするには及かず(第130段)
己が分を知りて、及ばざる時は速かに止むを、智をいふべし(第131段)
花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは(第137段)…特にこの137段は超名文。日本人必読。
子故にこそ(子供をもってこそ)、万のあはれは思い知らるれ(第142段)
必ず果し遂げんと思はん事は、機嫌(時期・機会)を言うべからず(第155段)
一道にもまことに長じぬる人は、自ら、明らかにその非を知る故に、志つねに満たずして、終に、物にほこる(自慢する)事なし(第167段)
万の事、外に向きて求むべからず。ただ、ここもと(手近なところ)を正しくすべし(第171段)
万事に換えずしては、一の大事成るべからず(第188段)
万のものの綺羅・飾り・色ふしも、夜のみこそめでたけれ(第191段)
身をも人をも頼まざれば(自分も他人もあてにしなければ)、是なる時は喜び、非なる時は恨みず(第211段)
虚空よく物を容る(第235段)