【531冊目】西村幸夫編「まちづくり学」
- 作者: 西村幸夫
- 出版社/メーカー: 朝倉書店
- 発売日: 2007/05/01
- メディア: 単行本
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「都市計画」ならともかく、「まちづくり」となると、分かったようでいまひとつイメージを捉えづらいところがある。主体となる存在が行政や住民など多岐にわたり、またそれぞれが入り混じっていたりする。対象となる地域の広さもまちまちだし、具体的に何をやるのか、も事例ごとにバラバラである。それこそ都市計画に近いような自治体まるごとのデザインであることもあれば、一本の路地の植栽をどうするか、といったレベルであることもある。どんなことでも、「まち」にかかわることであれば「まちづくり」という言葉に包摂されてしまうような、アメーバ的な広がりがこの言葉にはあるように思える。
本書は最初の方で、まちづくりの本質を、一定の地域がそこに居住する人々の一定規模の集団によって「わたしたち共通の家」として意識化され、そのように意識化している「わたしたち」がいることであるとしている。「わたしたち共通の家」とは、言い換えればいわゆる「コモンズ」の問題であり、地域を、所有によって区切られた私有地の集合ではなく、(それを含んだ)一種の共有地として捉える発想である。つまり、大げさに言えば、「まちづくり」には近代的な所有概念の超克が含意されている、ということになるのかもしれない。
こういうとずいぶんおおごとに思えるが、実際に本書で挙げられている事例は、実にささやかなものばかりである。「まちづくり」の先進地、世田谷区の事例が多いのだが、どれも比較的狭いエリアの、本当にちょっとした地域の改変にすぎない。例えば、長さ300mほどの小径を季節の野草で彩ろうとした「船橋小径の会」の取り組みなどである。しかし、そうした地域ごとの「ちょっとした」「さまざまな」取り組みの集積が、実はひとつの「まち」を作り、地域を作っていくのだということに、本書を読んでいると気づかされる。地域に根ざした取り組みであるから、主体となるのはそこに住む人々である。実際、本書で挙げられている例のほとんどは、住民がまさに主体となって考え、実行しており、行政はひたすら黒子としてサポートに徹している。こうした住民と行政の関係は、おそらくこれからはどの自治体でも当たり前の姿になってくるだろう。その時に適切な距離感を置き、きちんとしたサポートができるかどうかが、行政の価値を決めていくに違いない。自治体の役割は、国の決めた政策を実行する時代から、自ら政策を考えて実行する時代を経て、これからは住民の考えた政策をサポートしていく時代になるのではなかろうか。