自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【446冊目】井上ひさし「自家製文章読本」

自家製 文章読本 (新潮文庫)

自家製 文章読本 (新潮文庫)

昭和59年に初版発行となっているが、今でもまったく古びたところのない文章作法の教科書である。

序章めいた「滑稽な冒険へ旅立つ前に」を含め13章から成っているが、いずれもこれまでの文章読本で書かれた「通説」的見解を疑い、ひっくり返しながら自説を展開するという流れになっている。特にやり玉に挙がっているのが三島由紀夫の「文章読本」であり、以前この本を読んでそれなりに感ずるところのあったわが身としては複雑な気分であった。

しかし、本書の指摘自体はそれなりに筋が通っているし、何より、著者の意図が単なる揚げ足取りではなく、あえて反面教師を掲げることで文章の本質にかかわる論点を浮き彫りにするところにあることは伝わってくる。さらに、その主張を支える著者の膨大な文学的知識と素養の幅広さ、奥深さがなみたいていではないことが、控え目ながら行間から伝わってくるのだから、これはもう感服せざるを得ない。たとえば、ダッシュ(「―」)を芥川龍之介が多用することを指摘するくだりで「ダッシュの見当たらぬのは『蜘蛛の糸』に、『きりしとほろ上人伝』に、『糸女覚え書』ぐらいなものである」などとさらりと書いてあったりするのである。また、取り上げられている文例も古今東西の古典から新聞の求人広告に至るまで実に幅広く、しかも的確。文体やオノマトペ、個々の文の構成要素から文章全体の構造まで、いわば文章のフォルムをふだんから余程注意していないと、こういうことにはならないだろう。

文章を書いていても、また読んでいても、私も含めてほとんどの人は内容に注意を奪われて、文章そのものの様式にまでなかなか目が向かないのではないだろうか。本書はそこにさまざまな方向から光を当てて、そこに注意を促すとともに、細部のもつ効果の大きさとおもしろさを教えてくれる。小説や評論のような「プロの文章」だけでなく、仕事で使うような実用文にも役に立つところの多い一冊である。