自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2731冊目】池谷裕二『受験脳の作り方』


新潮文庫1002021」全冊読破キャンペーン53冊目。


タイトルからは、胡散臭い「脳トレ本」みたいに見えますが、内容は一般に言われている勉強法を脳科学の視点から検証するという、たいへんまっとうなもの。それも、安易なノウハウではなく、むしろ王道といわれる勉強法に裏付けを与えるものになっています。


例えば、記憶を定着させるには反復を繰り返すしかないこと(「成績がよい人は、忘れても忘れてもめげずに、海馬に繰り返し繰り返し情報を送り続けている努力家だと言えます」(p.39))、特にアウトプットの反復が大事であること(「海馬の立場から言えば、『この情報はこれほど使用する機会が多いのか、ならば覚えなければ』と判断する』(p.78))、一度決めた参考書は変えないこと(「復習は同じ内容の学習を繰り返すことが肝心です」(p.70))など。特に、一つづつ段階を踏んだほうが結果的に早道であること(いわゆるスモールステップ)や、丸暗記ではなく応用可能な「方法記憶」をすべきこと、などの指摘は大切です。


ちなみにこの方法記憶に関連して驚いたのは、著者が「九九」をほとんど覚えていないという「告白」でした。そのかわりに、どんな掛け算でも、何種類かの簡単な暗算を組み合わせて、瞬時に答えを出しているそう。それでも東大大学院で博士号が取れるのですから、確かに丸暗記はしなくていいのかもしれませんが、それにしてもびっくりです。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!

【2730冊目】井伏鱒二『黒い雨』


新潮文庫1002021」全冊読破キャンペーン52冊目。


井伏鱒二の代表作にして、異色作です。他の作品にみられる飄々としたユーモアは影をひそめ、原爆の惨禍が徹底的に、しかしどこまでも客観的に語られます。


語り手である重松が、原爆投下直後からの「被爆日記」を清書しつつ、当時を振り返るという構造になっています。なぜ被爆日記を清書しているかというと、姪の矢須子の縁談に際して、矢須子が被爆していないということを証立てるために、矢須子の手記とあわせて仲人に提出するためなのですが、実はこの矢須子も実は黒い雨を浴びており、後に後遺症で亡くなるのです。ふたつの時代を並べることで、原爆が投下からずっと後になっても被害をもたらすということがよくわかるようになっています。


それにしても、本書で描写される広島の様子は凄まじいものです。死体が積み重なり、そこに無数の蝿が群がっている。皮膚がむけて垂れ下がった人々が、水を求めてさまよい歩く。淡々としているだけに、その描写には底知れない迫力があり、読む者を離しません。


そんな中、私が妙にリアルに感じたのは、放射能尿道の内壁が剥がれてしまい、尿が詰まって出て来なくなる、というくだりでした。こうしたちょっとした、ある種おかしみさえ感じるディテールにこそ、実は本当のリアリズムが潜んでいるのだと思います。


井伏鱒二という、他にほとんどこの手の小説を書いていない作家が、あえて原爆に正面から取り組んだことに、この小説の価値はあるように思います。「原爆文学」「戦争文学」の枠を超え、近代日本文学の傑作として本書が残り続けることの意義は、はかりしれないのではないでしょうか。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!

【2729冊目】梶井基次郎『檸檬』


新潮文庫1002021」全冊読破キャンペーン51冊目。


梶井基次郎は、肺結核のため31歳で死去しました。そのためもあってか、多くの作品で死の影を感じます。しかし、この作家が不思議なのは、死や病というシリアスなテーマを扱っているのに、あまり湿っぽくならないところ。むしろ、自分の病や生命さえ突き放し、時には面白がってみせる、乾いたクールな視点を感じます。


代表作「檸檬」がまさにそういう小説です。「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧(おさ)えつけていた」という重い書き出しで始まりますが、ふと思いついて果物屋檸檬を買ってからは、「私」の足取りは急に軽やかになります。


そして、丸善に入って本を積み上げ、そこに爆弾に見立てた檸檬を置く有名なシーン。「そうしたらあの気詰りな丸善も粉葉(こっぱ)みじんだろう」とほくそ笑み、通りを歩いていく自身の姿を、著者はまるで後ろから見ているかのように描いてみせるのです。


あと、ちょっとした描写が素晴らしいですね。怜悧で客観的な、どこかカポーティを思わせる書き方です。例えば「ある心の風景」の冒頭近くでは、こんな情景描写があります。なかなかこういう文章は書けません。


「其処は入り込んだ町で、昼間でも人通りは尠(すくな)く、魚の腹綿や鼠の死骸は幾日も位置を動かなかった。両側の家々はなにか荒廃していた。自然力の風化して行くあとが見えた。紅殻が古びてい、荒壁の塀は崩れ、人びとはそのなかで古手拭のような無気力な生活をしているように思われた」


最後までお読みいただき、ありがとうございました!

【2728冊目】齋藤孝『孤独のチカラ』


新潮文庫1002021」全冊読破キャンペーン50冊目。


さて、本書はまことにつまらない本でした。まあ、著者の本は『声に出して読みたい日本語』も『読書力』もイマイチでしたので、あまり期待はしていなかったのですが、それにしても本書がなぜ名だたる新潮文庫の名著を押しのけ、100冊のうちの1冊に選ばれたのか、私にはよくわかりません。


孤独が人間にとって大事なものだ、という前提は同感です。しかし「多くの人に、孤独に対してそのようなポジティブでクリエイティブなイメージをもってもらいたい」(p.39-40)と言われると、いやいや、ちょっと待って、ポジティブとかクリエイティブとかいうような浮ついた言葉で孤独を語りなさんな、と言いたくなってしまいます。


しかもその後には「誰だって人から『ああ、この人は奥が深いな』『輝いているな』と思われるのはうれしいに違いないからだ」と続くのですから、何をかいわんや、です。この人にとって、孤独とは人から褒められたりモテたりするためのポーズにすぎないのでしょうか。


古今東西の文学作品や哲学書からの引用が散りばめられていますが、そこから引き出される考察は「孤独は自己と向き合うために必要」「最近の若者は群れてばかりいて孤独と向き合っていない」「孤独な時間と人付き合いのバランスが大事」など、どこかで聞いたことのあるようなことばかり。まさしく陳腐そのもののオンパレードで、一つとして新たな発見のない一冊でした。


むしろ本書の「解説」で小池龍之介氏が書かれている「本来、すべての人間は孤独」「動物も生きとし生けるものは、すべて孤独の中に生きている」という言葉が、はるかに核心を突いているように思います。著者が200ページ近くの文章を綴ってついに到達できなかった孤独の本質に、小池氏はわずか10ページ弱の解説の中で言及している。このことの意味を、もう一度考えてみる必要があるのではないでしょうか。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!

【2727冊目】遠藤周作『沈黙』


新潮文庫1002021」全冊読破キャンペーン49冊目。


内容は説明不要でしょう。キリシタン禁制下の江戸時代を舞台に、情熱あふれる若きポルトガル人宣教師が棄教するまでを描いた作品です。マーティン・スコセッシの映画も話題になりましたね。


主人公が外国人、それを拷問にかけるのが日本人という「配役」が、日本の小説としては異色ですが、本書のテーマはもっと深いところにあります。それはタイトルにも示されているとおり、神の「沈黙」です。


悲惨な目に遭う人々を前に、なぜ神は沈黙しているのか。それは『ヨブ記』から『カラマーゾフの兄弟』におけるイヴァンの問いに至るまで、西洋の宗教と社会を貫く大問題です。それをクリスチャンとはいえ、日本人の作家が正面から取り上げ、描き切ったことに驚きます。


ただ、本書のクライマックスは「踏絵」のキリストが語りかけてくるシーンなのですが、私にはこのラストはいささか安易に思えました。やはり、ここは最後まで「神の沈黙」を貫いてほしかった。神の沈黙という大テーマに、キリスト者でもある著者は耐えきれなかったのでしょうか。


あと、本書の影のキーパーソンは、キチジローであると思います。弱くて卑劣で臆病なキチジローこそ人間そのものであり、まさしくもうひとりのユダなのですね。キリストが最後にユダにかけた言葉の意味が、本書を貫くもう一本の糸になっています。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!