【2730冊目】井伏鱒二『黒い雨』
「新潮文庫の100冊2021」全冊読破キャンペーン52冊目。
井伏鱒二の代表作にして、異色作です。他の作品にみられる飄々としたユーモアは影をひそめ、原爆の惨禍が徹底的に、しかしどこまでも客観的に語られます。
語り手である重松が、原爆投下直後からの「被爆日記」を清書しつつ、当時を振り返るという構造になっています。なぜ被爆日記を清書しているかというと、姪の矢須子の縁談に際して、矢須子が被爆していないということを証立てるために、矢須子の手記とあわせて仲人に提出するためなのですが、実はこの矢須子も実は黒い雨を浴びており、後に後遺症で亡くなるのです。ふたつの時代を並べることで、原爆が投下からずっと後になっても被害をもたらすということがよくわかるようになっています。
それにしても、本書で描写される広島の様子は凄まじいものです。死体が積み重なり、そこに無数の蝿が群がっている。皮膚がむけて垂れ下がった人々が、水を求めてさまよい歩く。淡々としているだけに、その描写には底知れない迫力があり、読む者を離しません。
そんな中、私が妙にリアルに感じたのは、放射能で尿道の内壁が剥がれてしまい、尿が詰まって出て来なくなる、というくだりでした。こうしたちょっとした、ある種おかしみさえ感じるディテールにこそ、実は本当のリアリズムが潜んでいるのだと思います。
井伏鱒二という、他にほとんどこの手の小説を書いていない作家が、あえて原爆に正面から取り組んだことに、この小説の価値はあるように思います。「原爆文学」「戦争文学」の枠を超え、近代日本文学の傑作として本書が残り続けることの意義は、はかりしれないのではないでしょうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!