自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【2569冊目】サマセット・モーム『雨・赤毛 他一篇』

 

 

こないだ『月と六ペンス』を読んでモームが気になったので、だいぶ前から持っているやつを引っ張り出してきた。1962年初版の岩波文庫版だが、どうやらすでに絶版らしい。「土人」「シナ」「あいのこ」などのタブーワードがガンガン出てくるあたりが時代を感じる。最近の翻訳ではどんなふうにしているのだろう。

 

「雨」を読み返して驚くのは、デイヴィッドスン夫妻を描くモームの「しつこさ」だ。南洋の島に暮らす人々に対して、宣教師として一方的にキリスト教のモラルを押しつける。どんなひどいことをしても動じることなく「私の心も血を流しているのです」とうそぶく。「善」や「正義」を振りかざす人間のもつたまらない醜悪さを、モームは徹底して描き出す。それが極点に達したところで急転直下となるわけだが、その肝心なところをモームは描かず「彼には一切がわかったのである」とだけ書く、そのうまさ。さすがは小説名人、語りの手練れとしかいいようがない。

 

赤毛」はオチも含めてなんとなく覚えていたが、やはりそこに至るまでの語りの妙というか、先の予想がついてもなお読者を引っ張っていって離さない力技にあらためて驚かされる。しかし、この作品はなんといっても次の「名言」だ。この言葉が軸になって、この短編小説は成立しているのである。

 

「愛の悲劇は死でもなければ別離でもない。(略)かつて自分が全身全霊をあげて愛した女、この女を見失ったら到底たえられないと思われた女、そういう当の女をながめながら、こんな女とは二度と逢わなくたって一向かまわないとさとるとすれば、何とも苦痛なことではあるまいか。愛の悲劇は無関心ということさ」(p.107)

 

「マキントッシ」については簡単に触れるだけにするが、これもやはりラストの転回が鮮やかだ。ウォーカー所長がどうとかいうより、人の見え方、人の評価というのは本当に見る人次第なのだなあ、と思わされる。だからこそ、人を見極めるのはむずかしい。ラストのやるせなさでは、三作中随一であろう。今はどこで読めるのか調べてみたら、ポプラ社の「百年文庫」第47巻「群」に、「マッキントッシュ」というタイトルで収録されている模様。マイナーだがなかなかの名品なので、機会があればぜひ一読を。

 

 

月と六ペンス (新潮文庫)

月と六ペンス (新潮文庫)

 

 

 

(047)群 (百年文庫)

(047)群 (百年文庫)

 

 

【2568冊目】山内一也『ウイルスの世紀』

 

 

数十年にわたりエマージングウイルスを研究してきた著者による「集大成」の一冊。そこに新型コロナウイルスパンデミックが重なったことは、思えばなんという偶然か。もちろんのこと、本書にも全5章のうち第3章がまるまる新型コロナウイルスに充てられている。

エマージングウイルスとは、新興感染症のこと。20世紀後半、今まで人類が遭遇したことのない新たなウイルスが続々とあらわれた(エマージングとは「出現」という意味である)。凶悪なエボラウイルス、ラッサ熱を引き起こすラッサウイルス、ニューヨークで突然出現したウエストナイルウイルス、そしてSARS、MERS、COVID-19などで世界を騒がせるコロナウイルスは、いずれもエマージングウイルスだ。

エマージングウイルスの特徴は、動物によって保有され、それがヒトに感染すること。そのため、ほとんど人間にしか感染しない天然痘と違って、根絶は難しい。そして、どの動物がウイルスを運んでいるかを突き止めるのは大変な作業となる。オーストラリアに出現したヘンドラウイルスは、800キロ離れた場所で、ほぼ同時にウマへの感染を引き起こした。これほどの距離、ウイルスを持ち運べるのは鳥かコウモリしかいない。はたして、ダーウィンからメルボルンにかけて生息するコウモリを調べたところ、ヘンドラウイルス抗体が見つかった。ちなみに、コウモリは動物の中でも突出した「ウイルスの貯蔵庫」だという。哺乳類でありながら翼をもち、遠距離を移動するうえ、洞窟などのせまい場所に密集するため、ウイルスが爆発的にひろがりやすいのだ。

特定がむずかしく、そのため対策が迷走することもある。マレーシアでニパウイルスが流行し、大量のブタが犠牲となったうえ、ヒトへの感染も確認されたケースでは、政府はこれを日本脳炎によるものと判断した。日本脳炎は蚊によって媒介されるため、殺虫剤を散布し、ブタに日本脳炎ワクチンを注射した。ところが、皮肉なことにこの対策がかえってウイルスを広げてしまった。ブタの移動制限をとらなかったため、ブタの移動とともにウイルスが拡散した上、ブタへのワクチン注射で注射器が使い回され、注射針を介して感染を広めてしまったのだ。ヘンドラウイルスに似た新たなウイルスであり、日本脳炎ウイルスとは異なるという指摘はなされていたが、マレーシア政府は日本脳炎という「初診」に固執してしまい、適切な対策が取れなかったのだ。ちなみにこのニパウイルスでも、最初にブタにウイルスを感染させたのはコウモリであった。

新型コロナウイルスについても触れなければならないだろう。コロナウイルスは大きく4つのグループ(α、β、γ、δ)に分けられ、それぞれの中に多くの種類が存在する。ヒトに感染するのはそのうち7種(αグループの2種、βグループの5種)。4つは風邪を引き起こすウイルスだが、βグループの5種のうち3種はSARS、MERS、そして今回のCOVID-19(新型コロナウイルス)である。このウイルスを体内に保有しているのは、やはりのこと、コウモリだ。

問題は、コロナウイルスは一本鎖RNAウイルスであり、変異が起きやすいことだ。2本鎖DNAであれば変異が起きてももう一本の鎖が相補的に存在するため修復されやすいが、RNAだとそうした「コピーミス防止機能」が働かない。もっとも、コロナウイルスは不思議なことに、nspl4酵素という独自の修復システムを持っており、そのため、例えばインフルエンザウイルスのような頻繁な変異が起きるわけではないらしい。

コロナウイルスは、どのようにしてヒトに感染するのか。よくいわれているように、SARSやMERSと同様、そこには動物が介在している。SARSではコウモリからハクビシンを介し、MERSではコウモリからラクダを介してヒトに感染した。COVID-19では、疑わしいのはセンザンコウとされている。コウモリのもつRaTG13ウイルスがセンザンコウに感染し、そのときにセンザンコウのウイルスが組み込まれ、ヒトへの感染性を獲得したらしいのだ。中国ではセンザンコウは食用とされ、鱗は漢方薬に使われる。ちなみにマレーセンザンコウ絶滅危惧種であり、密輸されたものではないかと言われているようである。

なかなか厄介な話である。ハクビシンセンザンコウが売買される中国の状況にも問題はあるが、そもそも現代では、ほとんど国・地域を問わず、野生動物の生息地域にヒトが入りこみやすい状況が出来上がってしまっている。そうした状況では、動物が保有するウイルスを「もらって」しまうことは避けられないようにおもわれる。だからこそ21世紀は「ウイルスの世紀」なのだ。著者は言う。

新型コロナウイルスは、二十一世紀がウイルスとの共生の道をさぐる時代に入ったことを、われわれに見せつけているのである」(p.232)

【2567冊目】吉野裕子『ダルマの民俗学』

 

ダルマの民俗学―陰陽五行から解く (岩波新書)

ダルマの民俗学―陰陽五行から解く (岩波新書)

  • 作者:吉野 裕子
  • 発売日: 1995/02/20
  • メディア: 新書
 

 

ダルマといえば知らない人はいない、赤くてギョロ目のあの物体だ。そのモデルが禅の始祖、達磨大師であることはよく知られているが、では、なぜかつて実在した人物が、あのような形の「ダルマ」として親しまれるようになったのか。本書はその謎を「陰陽五行説」を補助線に解き明かす一冊だ。

 

本書の前半ほぼ三分の一は、この陰陽五行説の解説に割かれている。有名な十干十二支をはじめ、年や月、日といった暦から方位や色に至るまで、陰陽五行があらゆる領域に影響を及ぼしていることがよくわかる。ちなみに「土用の丑の日」にウナギを食べる理由についても、著者は陰陽五行説と結びつけており、「丑の日だから本来は牛を食べるべきだが、牛食はタブーだから同じ「ウ」のつくウナギを食べることになった」という説明がなされている。

 

それはともかく、ダルマである。ダルマの特徴である「赤い色」「大きな目」「おにぎりのような形状」そして達磨大師の「南インドという出自」は、陰陽五行でいえばいずれも「火」に通じるという。一方、仏教においても宇宙の根源的要素を地大、水大、火大、風大の四大と呼ぶ。特に「火大」を具象化したキャラクターである「火天」の特徴は、五行の「火」といろいろ重なり合っているらしい(もともと「火」という要素が共通なのだから当然だが)。いずれにせよ、ダルマのルーツは中国の陰陽五行にある、というのが著者の主張である。

 

本書はダルマに限らず、さまざまなものをこの陰陽五行で読み解いていく。面白いのは「凧」=「紙鳶(いかのぼり)」もまた、五行の「火」と重なり合う、というくだり。ダルマと比べても意外な組み合わせだが、まあ、この著者は以前読んだ『蛇』でもこの世のすべては蛇に由来する、と言わんばかりの勢いであったので、すべて真に受ける必要はないだろう。むしろ、さまざまなモノにひそむイメージのルーツを辿るための方法のひとつとして、その飛翔ぶりを楽しむのがよい。正解かどうかが問題なのではなく、イメージの根っこをしっかりとおさえつつ、そこからどれほど自在に「飛べる」かが大事なのだから。

 

【2566冊目】佐藤優『人たらしの流儀』

 

人たらしの流儀 (PHP文庫)

人たらしの流儀 (PHP文庫)

  • 作者:佐藤 優
  • 発売日: 2013/03/05
  • メディア: 文庫
 

 

タイトルはキャッチー、というか露悪的だが、中身は人間関係構築のための具体的なノウハウ。というか、われわれが人間関係を築きたいと思う時って、たいていホンネでは「人たらし」が目的だったりすることが多い。そこをストレートに突いたという意味では、なかなか鋭いというか、いささか意地悪なタイトルといえるかもしれない。

人間関係を築くための「自分の磨き方」から初対面での気持ちのつかみ方、借りをつくらない付き合い方から「別れ方」まで書かれているが、どれも著者の外交官時代の実践に基づくものだけに説得力がある。面白いのは「嘘をつかないこと」というルール。インテリジェンスの世界というと騙し合いの世界のように思えるが、実は嘘をつかないことが大事だという。なぜなら、嘘をつくことを許容するとゲームのルールが複雑になり過ぎるから。これはビジネスの世界でも同じことで、相手が嘘をつくかもしれない、ということを前提にすると、余計な手間やコストがかかり過ぎるのだ。だから小さな嘘をついてばかりの人間は、人間関係から排除されることになる。

だが、だからといって何でも正直に伝えていては、特に外交の世界は成り立たない。そこで大事なのが「嘘をつかずに嘘をつく」というやり方だ。例えば「熱帯の大きな動物で、足が大きく皮膚はザラザラ、ちょっと毛が生えていて細いシッポがあります。この動物はなんでしょう?」と聞かれたら? 象、と答えた人は甘く、答えは犀。文句は言えない。「鼻がどうなっているか聞かなかったお前が悪い」のだから。これが「嘘をつかずに嘘をつく」方法だ。

ケースワークに役立ちそうな技法も多い。特に「話を聞くこと」「オウム返し」の重要性は、そのまま相談援助面接の要諦につながる。「相手と3カ月以内に3回会う」というのも有効だろう。最初は挨拶。その時に何か借りる。借りたものを返すのに2回目(これは「質問に答える」とか「サービスのパンフレットをもっていく」とかになるだろうか)。その御礼ということで次の予定を入れて、3回目。これで3年は関係がもつ。その3年の間に実績を挙げれば、一生モノの共存共栄関係が作れるという。

それ以外にも「本の読み方」「新聞からの情報の取り方」など自分の内面を充実させるための方法、異業種交流会の上手な利用の仕方など、「人たらし」になるためにも、また「人たらし」に騙されないためにも読んでおいて損はない、実践的かつ「濃い」内容の一冊だ。

【2564・2565冊目】劉慈欣『三体』『三体2 黒暗森林』

 

三体

三体

 

 

 

三体Ⅱ 黒暗森林(上)

三体Ⅱ 黒暗森林(上)

 

 

 

三体Ⅱ 黒暗森林(下)

三体Ⅱ 黒暗森林(下)

 

 

 

久しぶりにSFを読んだら、とんでもないことになっていた。なんじゃこりゃ。

 

次々に起こる科学者の自殺。目の前に見える人生の残り時間のカウントダウン。宇宙背景放射のモールス信号。周の文王やニュートンアインシュタインが登場する謎のVRゲーム「三体」。のっけから見たこともない展開の連続だが、文化大革命で父を殺され、人類に絶望した科学者が、宇宙からの交信を受け取った時、物語はさらに意外な方向に転がり始める。3つの恒星をもつ「三体世界」から、宇宙艦隊が地球に向かって進んでいるというのだ。到着はなんと、今から450年後。

 

この三体世界の科学技術水準がとんでもない。地球に放たれた、陽子の中に11次元で折りたたまれた「智子(ソフォン)」は、地球上のすべての動静や会話を傍受する(そのため、人類が取り得るすべての対策は筒抜けになる)。そこで人類が立てた戦略は、面壁者と呼ばれる4人の人物に絶対的な権限を与え、彼らの「思考の内側」で、宇宙艦隊に対抗する方策を考えさせるというものだった……。

 

どう考えても面白いプロットなのだが、物語はさらにそこから二転三転、予想もつかない方向に飛びまくる。物理学の小ネタも満載であり、一見とっつきにくいが、メインプロットは現代SFとしては奇跡的なほどにシンプルなのでご安心を。超極細のナノワイヤーで船を切断したり、「強い相互作用」で作られた物体が宇宙空間で大暴れしたりと、エンタメ要素にも事欠かない。イーガンあたりの現代SFというより、アシモフやクラーク、日本でいえば小松左京あたりの、古き良きSFを思わせるシンプルな力強さを、この小説からは感じる。

 

個人的に一番びっくりしたのは、本書で提示される「フェルミパラドックス」への回答だ。この広い宇宙空間で、なぜ異星人とのコンタクトが起きないのか? 本書の答えは、まさに宇宙が「黒暗森林だから」というものだ。そのヒントは「猜疑連鎖」と「技術爆発」。前半で葉文潔が提示したヒントが、驚くべき答えとなる。そこまで見透かしていた葉もスゴイが、その「答え」から新たな戦略を導き出したルオ・ジーも見事。鮮やかな逆転劇で第2巻は幕を閉じるのだが……あれ? まだ「第3巻」があるんだっけ? いったいどんなことになるのだろう。というか、果たしてこれ以上の展開というのはありうるのだろうか。すでに私のリミッターを、この第1巻と第2巻だけで軽々と振り切ってしまっているのだが。