自治体職員の読書ノート

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【1447冊目】内田貴『民法改正』

民法改正: 契約のルールが百年ぶりに変わる (ちくま新書)

民法改正: 契約のルールが百年ぶりに変わる (ちくま新書)

内田貴といえば、法律業界では知らない人のいない民法界の第一人者。分厚い「内田民法」4冊は、私も以前、法律の勉強を本腰入れてやっていた時にはずいぶんお世話になった(10年くらい前の話だ。今も「内田民法」は基本書の定番なんだろうか?)。

その内田氏が、今は法務省の参与として民法の「百年ぶりの大改正」に関わっているという。本書はいわばその「途中報告」なのだが、改正の必要性を通して今の民法、さらには今の日本の法律のあり方の核心が透けて見えてくるのがおもしろい。

現・民法の制定は1896年。その後、親族・相続法は戦後の大改正で変わり、それ以外にも禁治産制度の廃止とか最近の口語化など、大きな改正がなかったわけではないのだが、今回は民法の核心ともいえる契約法の改正が議題になっているという。

ということは、つまり契約法の基本原理は百年間もの間ほとんど変わらなかった、ということになる。日清・日露戦争の頃のルールが今なお使われているというだけでも衝撃的だが、さらに興味深いことに、今回の(百年ぶりの)改正の動きに対して、実務家や経済界から「なぜ変える必要があるのか」という反発が多かったという。ではそうした方々は、今の民法が時代に合っているとお考えなのかといえば、そうではない。「解釈でうまく回っているのだから、変える必要はないじゃないか」というのが、その理由であるらしいのだ。

どういうことかというと、これは民法を少し勉強された方はお分かりだと思うが、民法という法律は条文からは読み取れない「裏ルール」がやたらに存在する。本書では錯誤における「動機の錯誤」とか、不可抗力による債務の履行遅滞の免責の問題などが取り上げられているが、私が以前テキストを読んでいて一番びっくりしたのはいわゆる「危険負担」の問題だった。なにしろ「通説」とされている解釈が、どう考えても条文とは真逆の結論を導いているのだから。

こうした「解釈」があり、さらに「判例」が積み重なり、条文のままでは妥当な結論が導けないようなケースについて、実務上の解決が図られてきた。その結果どうなったかというと、民法典の外に、判例や学説によって形成されたもう一つの民法がある」(p.96)という状態になっているのだ。先ほどの「解釈でうまく回っている」というのは、こういうことだ。

しかしこの発想は本末転倒だ。著者が指摘するように、本来は「解釈で回っているからいい」という発想のほうが異様なのだ。法律は条文を読むだけで理解できることが重要なはずであり、だからこそ古代ローマの成文法以来、法律の「成文化」は、聖書の「国語化」と同じように重要視されてきたのである(条文自体が理解しやすいような構造になっているかどうか、という問題もあるが、それはまた別の話)。

さらに、そうした理念的な問題意識に加えて、実は契約法にはもっと現実的で差し迫った「危機」がある。それは、グローバリゼーションの進展による国際的な取引の発達だ。国境をまたいだ取引をする際には、準拠法が問題になる。その時に、解釈と判例を知らなければ理解できないような民法では世界に通用しない、ということになってしまい、そんな国の法律を準拠法にはできない、と言われてしまうのではないか。そう著者は危惧している。

つまり不透明な契約法をもっているがゆえに、かえって外国の法律を準拠法にされてしまい、いざとなった時に不利な争いを強いられることになってしまうというワケだ。皮肉といえばなんとも皮肉なことであるが、「百年ぶりの改正」には、そうしたリアルな理由もあるという。なるほど。

私自身は、基本的に民法についてはシロウトなので、本書で示されている改正の方向性が本当に妥当かどうかは、正直わからない部分も多い。しかし、著者が指摘する日本の民法「ホンネとタテマエ」的な二重構造がこのままで良いとは、少なくとも思えない。というか、いかにも日本的な「ホンネとタテマエ」が、こういうところで顔を出すというのが面白い。

世界各国(主に西欧だが)の民法も紹介され、歴史や経済の視点で民法を見ることのできる稀有な本。法律に苦手意識がある人ほど、細かい法律的な議論は飛ばしてもいいから、読んでほしい一冊だ。

民法I 第4版: 総則・物権総論 民法II 第3版: 債権各論 民法 III [第3版] 債権総論・担保物権 民法IV 補訂版 親族・相続