【1448冊目】鴻巣友季子『本の寄り道』
- 作者: 鴻巣友季子
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2011/10/08
- メディア: 単行本
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翻訳家にして「本の目利き」、鴻巣友季子の書評集。
2004年から2011年までいろいろなメディアに書かれた書評を集成した一冊だ。そのため、その時点での新刊書や比較的新しい本を取り上げており、目次をざっとみるだけでここしばらくの主だった新刊書(小説がほとんどだが)を一覧できる。読んだことがある本や気になっていた本が結構入っていて、中にはちょっと懐かしい本も。
読んだことのない本の魅力を知るのが書評の「味わい方」の本道だが、読んだことがある本について他人の書評を読むのもまた、読み方の参考になる。中には読んだはずなのに内容を全然覚えていない本、カン違いして覚えている本もあり、我ながら呆れることも。
内容の要約のしかた、そこからポイントになる部分を引っ張り出す方法など、いろいろ勉強になる。感嘆させられるのが、一冊の本について書く著者の文章の背後に感じられる、膨大な読書経験の堆積だ。メルヴィルやコンラッド、エミリー・ブロンテ等の英米文学の古典は著者の本領だから当然として、30代になってから読み始めたという日本の現代文学についても非常に幅広く目配りしているのが伺える。
しかもそれをひけらかすわけではなく、本の紹介の合間あいまに、いろんな書名がするすると自然にはさまってくる。コチラとしては、書評されている本だけでなく、そこで触れられている本まで読みたくなってしまう。ただでさえ積ん読本が山をなしているのに、困ったモノである。
著者の書評で特にうまいと思ったのは、細部をていねいに捉える繊細な視点と、その作品や著者の本質をスパッと切り取る大胆な視点の絶妙な按配だ。
例えば240冊のトップバッターであるクッツェー『動物のいのち』では、入れ子状の複雑な構成について触れつつ、不意に「クッツェーが問いかけるのは、ずばり「個の存在は他者と共有できるか」ということだ」(p.9)と、たった一言でこの作品の本質を抜き出してしまう。
その次のピアソン『甘美なる来世へ』も巧い。冒頭の「29行もの長い一文」をクローズアップしてこの本の奇妙さを印象付け、S・アンダスンの作品と比較したりしつつ、不意に「読後まず思い浮んだのは「饒舌のストイシズム」という言葉だった」(p.11)とくる。そこからゆるゆると「饒舌」の裏側にあるものを分析する手際もまた見事なものだ。
今この二冊を取り上げたのは、たまたま本書の一番目と二番目にこれがあったからにすぎない。240冊のほとんどで、著者はこの「細部と全体の往復運動」をものすごいスピードで行い、そこから一冊の本を顕微鏡と望遠鏡で同時に眺めるような、信じがたい離れ業を演じて見せる。
なるほど、プロの書評家とはこういうものか、と思わせられた。私など遠く及ばぬ境地であるが、ヒントになりそうなのは、「あとがき」に書かれた次の言葉。
「わたしにとって書評とは翻訳である。
そして、翻訳とは一種の書評である」(p.307)
うむ。深い。