自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【132冊目】ルネ・デュボス「健康という幻想」

健康という幻想

健康という幻想

著者のルネ・デュボスは世界的な微生物学者であった人だが、生物学や生態学などに基づく一般向けの論考、エッセイも数多い。本書もそのひとつであり、主として人類の疾病史を取り上げ、健康の裏面史としての、病気と人間のかかわりをたどる内容となっている。

単純に考えれば、人間が病気になるのは、その原因となる病原菌やウイルスなどを体内に取り入れたためであるということになる。しかし、実際には同じ病原菌を吸い込んでも発病する人としない人がいるし、発病の程度もさまざまである。本人の体質、周囲の環境などの多様な要因が、そこには作用しているためである。その関係性が、本書の主なテーマとなっている。

いわゆる実験科学の方法は、環境の影響や主体の体質的ファクターを可能な限り制御した状況下で、単一の指標のみを変動させてその影響を見るというやり方となる。それによって、たしかにそのファクターが与える影響は明らかとなるだろう。しかし、実際にはさまざまな要因が複雑に絡み合っている以上、その実験はそれだけで完結した結論を提示するにすぎないのであって、現実に起きている発病状態について何ら語っているわけではない。本書で論じられているのは、つまるところ、そういった実験科学の不可知性の側面であるといってよいと思われる。特に、天然痘やポリオなど、ある病気が駆逐されると、代わってほかの病気や症状があらわれるという、いわば疾病の代替性の指摘は興味深い。ましてや、先般の「あるある」の納豆騒動などデュボスにいわせればナンセンスそのものということになろう。

本書から感じられたのは、そういった不可知性に対して科学者が持つべき「畏れ」の感覚のたいせつさであるように思われる。今でこそそういった科学の限界や危険性についてさまざまな指摘がなされているが、今から50年近く前(本書は1958年の刊行である)にこのような指摘がなされていたことには驚かされる。

最後にどうしても書いておきたいこと。本書は名著といってよい内容であるが、翻訳がひどい。30年以上前の訳文に文句をつけてもはじまらないのだが、悪文の極みのごとき文章である(リップサービスを「くちびるのサービス」と訳しているのを読んだ時にはのけぞった)。ぜひちゃんとした邦訳をした上で、ちくま書房あたりから復刊してほしい。