hachiroetoのものぐさ遊読帖

自治体職員。仕事は福祉系。読書は雑食系。

【2609冊目】沢木耕太郎『深夜特急1 香港・マカオ』


「アパートの部屋を整理し、机の引出しに転がっている一円硬貨までかき集め、千五百ドルのトラベラーズ・チェックと四百ドルの現金を作ると、私は仕事のすべてを放擲して旅に出た」(p.10)


いや〜、カッコいい。「放擲」という言葉に、26歳の青年の意気込みも決意を感じます。


デリーからバスに乗って、ロンドンまで。そんな漠然とした思いのほかに目的らしきものも持たず、ただひたすら旅をする。そんな沢木青年の姿に、何人の若者や元・若者が心酔し、旅に出たことでしょうか。


「ほんのちょっぴり本音を吐けば、人のためにもならず、学問の進歩に役立つわけでもなく、真実をきわめることもなく、記録を作るためのものでもなく、血湧き肉躍る冒険大活劇でもなく、まるで何の意味もなく、誰にでも可能で、しかし、およそ酔狂な奴でなくてはしそうにないことを、やりたかったのだ」(p.25)


そんな沢木青年ですが、本書ではまだデリーにさえ到着していません。香港の連れ込み宿に(一人で)泊まり、マカオでは人生初のギャンブルで大小にハマります。


さんざんに負けた後のホテルの部屋で、著者はこう考えます。


「やめて帰ろうという判断は確かに賢明だ。しかし、その賢明さにいったいどんな意味があるというのだろう」


「私が望んだのは賢明な旅ではなかったはずだ。むしろ、徹底した酔狂の側に身を委ねようとしたはずなのだ」


「賢明さなど犬に喰わせろ。張って、張って、張りまくり、一文無しになったら、その時は日本に帰ればいい」


まあ、このセリフ自体は、ある意味ギャンブル依存者の常套句でもあるのですが、同時に、賢明さとか利口さを一度は捨てて、その奈落の淵まで行かないと、見えてこないものがあることもまた確かなのですね。


精一杯の気負いもあるでしょうが、沢木青年は、あえてその淵のキワに立つことを選んだと思いたい。やはりこの本は、若者にとっては危険極まりない、ある種麻薬のような「名著」なのです。