自治体職員の読書ノート

自治体職員です。仕事の関係上、福祉系が多めです。読書は全方位がモットー。

【1095冊目】伊勢英子『カザルスへの旅』

主に、3つの旅の記録が綴られている。

最初は表題にもなっている「カザルスへの旅」。チェロ(本書では「セロ」)の巨人、パブロ・カザルスの生まれた土地を訪ねるヨーロッパ紀行。旅先のさまざまな出会いや風景も楽しいが、何より印象的だったのは旅の原動力となっている著者のカザルスへの想い、音楽への想いだった。

夫と子ども二人を日本に残しての一人旅。チロルの森を抜けてボローニャクレモナへ、さらにカザルスの背中を追ってスペインのプラド、ベンドレル、バルセロナへ。いっさいのお仕着せのプランに頼らず、自ら旅程を組み、自らが見たいものを見る。そこに動いているのは、飛び立ちたい、求めたい、探したいという強烈な「切実」であった。

「私は行きたいのだ。飛びたちたいのだ。見たいのだ。探したいのだ。いらだちたいのだ。砕けたいのだ。知りたいのだ――ここでない所で! 自分の心の中の一ばん素直な所で。」

第2章は著者の青年時代にさかのぼる。自分さがしのため、一人でパリへ……なんていうとなんだか毛恥ずかしい感じがするが、それはそれでやはり、理想と現実のなかでもがき苦しむ一人の若者の切実なのだから、笑ってはいけない。そんなところで「自分」が見つかることなんて決してないと、今になってみれば分かるのだが、それはやはり行ってみないとわからないことでもあるのだ。青い鳥が自分の家にいることをチルチルとミチルが知ったのは、夢の中での冒険と彷徨の果てなのだから。

そして、「もうひとつの旅」と題した第3章。これがなんと、遠野と花巻をめぐる東北の旅なのだ。ここでもまた、若き著者は「東北の女の自由ってなんですか」なんて質問をストレートにぶつけ、その回答にガクゼンとしてしまったりするのだが、そんな「自由」という不自由の牢獄に閉ざされた著者の心に、東北の風景は「閉じて」見える。東北に拒否されたと感じる著者に答える「先生」なる人物の言葉がすばらしい。

「東北を、教育、政治、イデオロギー、政治・経済を越えた次元で真理を、美をみつめてほしい。宇宙的な見方でみてほしい。アンドロメダをみる感覚です」

そして、そのあとにはこんな言葉が続く。

「東北の姿勢は、千年前に物部が来た時も、天台真言が来た時も、自力がきた時も他力がきた時もキリスト教がきた時も自民党がきた時も、北ってそういうところです。馬鹿にされてもいい、ほめられてもいい、在るがままがすばらしいという哲学で何千年も生きてきた北。今この北はどれほど大切な存在か」

じっさい、未曾有の地震津波に見舞われた後の東北にも、その哲学は失われていないように思われる。そのマインドを、著者は特に宮澤賢治の裡に見い出していく……というより、正確には宮澤賢治の言葉の背後に、東北の存在を発見していくのである。死の直前、賢治は農民からの肥料の相談に一時間ものっていた。著者はその姿に「なぜそこまでに自己を無にできたのか」と問い、すぐこう答える。

「いや、賢治にとってはそういう行為こそ、自己の欲するままに生きた『あるがまま』の姿だったのだ。修羅の対極の『まこと』に行くことができる喜びの中で命を燃焼しつくした。修羅の昇華、あるいは告白としての詩や童話、音楽ではなく、なんでもないことのために本気になる――その安らかな心持ちの中に賢治は自己の最後を自覚したかったのだ。」

さて、どうだろうか。実は私には、この見解にはちょっと違和感がある。賢治にとって農民からの肥料の相談は「なんでもないこと」ではなかったのではないか、と思うのだ。童話や詩、音楽と、農作業や農民への農業指導は、賢治にとって等価であったのではなかろうか。

とはいえ、「自己が欲する」と「自己を無にする」の一致への気づきがここで生まれていることは、すばらしい。たしかに、自己の欲求のまま動くだけでは賢治のいう「修羅」であり、そこから抜け出すにはよだかのごとく死して星となるか、晩年(といっても37歳だが)の賢治のごとく、自己という境地自体をふりすてる境地にまで至るしかない。それにしても、はたして著者は、賢治のいう「修羅」が、パリで自分さがしをしていた自分自身や、あるいはカザルスを求めてヨーロッパを旅した自分自身のなかにもまた燃え盛っていたことに、気づいていただろうか。読み終わってなんとなく、そんなことがちょっと気になった。

バッハ:無伴奏チェロ組曲(全曲) 春と修羅 (愛蔵版詩集シリーズ) よだかの星 (日本の童話名作選)