【2602冊目】岸政彦『100分de名著 ブルデュー ディスタンクシオン』
こないだの月曜日、なんの気無しに見たEテレ「100分de名著」が思いのほか面白く、あわててテキストを購入しました。
とくに「自分が好きなものや趣味は、自分で選んだつもりになっているが、実は『学歴と出身階層』によって規定されている」という指摘にはびっくりしました。
まあ、言われてみればいろいろ思い当たりますよね。
クラシック愛好家かJ-POPが好きか。
映画なら、ゴダールやキューブリックを見るか、あるいはMARVELかハリポタか。
なんとなくテレビをつける時も、NHKのニュースにするかフジテレビでバラエティを見るか。
まあ、あまり書くとイラッとする人も出てきそうなので、このへんにしますが、
どれも、自分で選んでいるつもり、好きで観ているつもりでいますが、
ブルデューによると、これらは育ってきた環境によって無意識のうちに「選ばされているもの」なのだそうです。
こうした選好の基礎になっている習慣を「ハビトゥス」といいますが、
さらにブルデューは、好き嫌いの判断をすることによって、人は「自分のハビトゥスの優位性の押し付けをやっている」とも言っています。
コレもわかる気がします。
今で言えば『鬼滅の刃』の映画のヒットを鼻で笑うような人がいますよね。「なんでアレが流行ってるのかわからん」とか「アレを観るくらいなら○○を観るよね〜」とか。
まあ、要するにマウントの取り合いなわけですが、
人は、なかなか「自分が好きならそれでいいじゃん」とはならない、そういう存在なのですね。そこには必ず、異なる趣味や好みへのディスりが入ってくる。
ブルデューは「趣味とはおそらく、何よりもまず嫌悪なのだ」とも言っているそうです。
これって、なかなかにイジワルな見方ではありますが、大事なことは「自分がそうした構造に囚われている」と自覚すること、なのですね。
「自分を規定する構造の正体を見極めることが、自由になる条件」(p.98)ということです。
最後にブルデューの名言を引いておきましょう。
「重力の法則は飛ぶことを可能にする」
来週以降の「100分de名著」がたのしみです。