【2587冊目】頭木弘樹『食べることと出すこと』
この「シリーズ ケアをひらく」は、私の大好きなシリーズだ。
その大きな理由として、どの本を読んでも、今まで当たり前だと思ってきたことが、まったく違うように見える、ということがある。
読む前と後で、世界の見え方が変わる。
読書の醍醐味の核心を味わえるシリーズなのだ。
本書はタイトルのとおり、「食べること」と「出すこと」、つまり食事と排泄を扱った一冊だ。
著者は潰瘍性大腸炎という難病を患い、食事に厳しい制限を課せられる。
例えば、カロリーは高くてもいいが、脂肪が多いとダメ(ところが、カロリーが高いものはたいてい脂質も多いので、結局食べられない)。食物繊維はもっともダメ。スイーツ類は一切不可。
結局「豆腐と半熟卵とササミ」に栄養剤を足した食事を、13年間続けることになったという。
それ自体もツライものがあるが、本書を読んでギョッとしたのは、その先だ。
著者は、この世の中には「共食圧力」というものが存在すると言う。
同じ釜の飯を食べる、という言葉があるが、人には、同じ物を一緒に食べることで連帯を強めるようなところがある。
飲み会などその際たるものだし、職場でお菓子を配ったり、見ず知らずの人でも何かを一緒に食べることで仲良くなったりする。
私はそのこと自体、あまり自覚したことはなかったし、自覚しても「いいことなんじゃないか」くらいに思っていただろう。
しかし、「食べられない」人にとっては、こうした場はツライ。
「病気があって食べられません」といえばいいんじゃないかって?
私もそう思った。しかし、著者の経験では、それでも「少しなら大丈夫でしょう」「たまにはいいでしょう」と、「共食」を強いる人がほとんどだったという。私も今までそんなことをしてこなかったと言えるだろうかと、不安になった。
「うまく食べられない人間は、人間関係もうまくいかなくなる」(p.129)
無自覚になりやすいだけに、気を付けたい。
さて、もう一方の「出すこと」つまり排泄である。
こちらは食事と違って、誰かと一緒に行うものではないが、それだけに別の問題がある。
それはいうまでもなく「漏らす」ことにまつわる問題だ。
人前で便を漏らすことの、社会生活上のダメージは致命的だ。
しかし、病気ゆえに、著者は急激にくる便意をコントロールすることが難しい。
で、どうなるかというと、著者は家に引きこもるようになったのだ。他の理由として、抵抗力が低下して感染症にかかりやすくなったということもあるが、とにかく外に出られなくなった。
そして、気がつくと「外に出ること自体」ができなくなったという。いわば、在宅での生活に順応してしまったのだ。
このあたりは、引きこもりの人の支援にあたっている方の参考にもなりそうだ。また、コロナ禍で在宅での時間が長くなっている人も気を付けたい。
他にも本書は、いままであまり意識したことのなかった、難病の人の「つらさ」や「孤独」を、きわめて具体的に綴っている。
もちろん、ここに書かれていることを知っても、それだけで難病のある人のことを理解できるわけはない。
しかし、少なくとも「自分には理解できないつらさ、苦労、孤独がある」ということだけはわかる。
「『想像が及ばないことがあるだろう』という理解」(p.314)
これは本当に大事なことだと思う。
「わかりあえない」という絶望と確信からしか、本当のコミュニケーションは生まれてこないのである。